考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』新章開幕17話「耕書堂を日本一の本屋にするしか道がねえんでさあ!恩に報いるには」蔦重(横浜流星)のビジネスセンスが冴え渡る
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
お稲荷様登場
17話は、黄八丈の着物に引き抜き結びの帯という江戸町娘姿の九郎助稲荷様(綾瀬はるか)によるご案内で始まった。第1話(記事はこちら)と同じようにお稲荷様登場の冒頭は、少しだけ変化したオープニング映像と合わせて、新章開幕を印象づけるものだ。
劇中劇のかたちで、浄瑠璃作家・烏亭焉馬(うていえんば/柳亭左龍)が脚本を書いた芝居『碁太平記白石噺』七段目・新吉原揚屋の段に、蔦重をモデルとした「本重」が登場した。16話(記事はこちら)で蔦重(横浜流星)が焉馬に「芝居の筋を邪魔しないように、さらっとうちの名を出してもらえないか」と依頼したものが実現した形だ。この宣伝は大当たり。芝居を見た江戸の町衆が耕書堂に足を運んでみれば、10冊もの新刊と蔦重本人が客を出迎えるのだ。一度見てみたい、話題の本を手にしたいという江戸っ子で、押すな押すなの大盛況。登場人物のモデルである蔦重の美貌に、若い娘たちからは黄色い歓声が上がる。
そんな耕書堂の様子を皮切りに、17話は蔦重の恐ろしいほどの商いの才覚、ビジネスセンスが発揮される展開となった。
意次という人物
その蔦重の活躍の前に、江戸城と田沼意次(渡辺謙)の動向も見ておかなくてはならない。徳川幕府が間もなく迎えようとしている政の変化は、蔦重の今後の商売、人生に大きく関わってくるからだ。
10代将軍・家治(眞島秀和)の嫡男・家基(奥智哉)の急逝により浮上した徳川将軍の家継承問題。意次は、世継ぎとして名乗りを上げる人物が家基と松平武元(石坂浩二)を暗殺したのだろうと目して様子を窺っていた。
しかし、現将軍の弟であり御三卿のひとつである清水徳川家の当主・重好(しげよし/落合モトキ)は世継ぎとなることを辞退。同じく御三卿である一橋徳川家の当主・治済(生田斗真)も意外や意外、気軽に出かけられなくなるから将軍世継ぎにはなりたくないという。
このドラマの治済は陰謀の黒幕で、将軍の座を狙っているのだと匂わせてきたのだから、拍子抜けする反応だ。
治済は意次に、家治自身が子を作るよう進言せよと促した。
治済「実の子に勝るものはなかろうし」
意次は治済の提案に従い、将軍・家治に今から男子をもうけるのが最善の策と頭を下げる。提案されて「この年でか?」と驚く家治は、元文2年(1737年)生まれ、この安永9年(1780年)で43歳。仲睦まじい夫婦であった御台所・五十宮倫子女王を喪ったのは9年前だ。
意次は、大奥総取締・高岳(冨永愛)の力を借りて五十宮の遠縁にあたる鶴子(川添野愛)を京から呼び寄せた。たちまち家治は、亡き御台所に瓜二つの鶴子に夢中になる。
家治の訪れが絶えて嘆くのは、亡き家基の母である側室・知保の方(高梨臨)。シーン変わって、知保の方の心を見透かすかのように「ひとりぼっちは寂しいのう」と、女の傀儡を見つめ呟く治済。
果たして、将軍・家治のもとに鶴子を送り込むよう謀ったのは、治済なのか。
新しい女性を将軍に侍らせたこと、それを手配したのが意次であることは、知保の方にも、かねてより意次を目の敵にしている松平定信(寺田心)の母・宝蓮院(花總まり)にもいずれ知られる。そのあたりの対策はどうするのかと問う高岳に、
意次「捨て置いてよかろう」「あのお二方にお味方する者はおらんだろうしな」
高岳は何を考えているか今ひとつ掴めない人物だが、この場面の彼女は、意次が人の心の機微に敏感な人物か否か、それとなく見極めているように見えた。
出世街道を駆け上がってきた有能な意次は、その才ゆえに、顧みられない、不運な人間の感情の動きには無感心な人物として描かれているように思える。
それは、旗本・佐野政言(矢本悠馬)に対しての行動も同じだった。
6話(記事はこちら)で、立身を願う佐野政言が「田沼家のいいように使ってくれ」と意知(宮沢氷魚)に託した系図を、意次は庭の池に放り込んでしまった。
そもそも系図とは武家社会において、どういった位置づけか。江戸時代は徳川幕府によって、士農工商という家業による身分制度が固められた。武家とは、ごくざっくり言えば、平安末期の軍事貴族や武士が台頭した時期に中心的存在であった一族(清和源氏、桓武平氏、秀郷流藤原氏など)の流れを汲む者がそれと認められた。傍流であろうとその末裔であろうと、それら名門と繋がっていることに意味がある。3代将軍家光の時代に、幕府はすべての大名と旗本に系図を提出させ、公的な系譜集『寛永諸家系伝』を編纂した。平安末期から鎌倉・室町、戦国時代を経て系図の売買や創作が多くあったのだが、とにかく武家としての系図が重視されたのだ。
意次の父・意行は紀州藩の足軽の子であった。足軽は藩によっては武士に区分されなかったほど低い身分であり、系図はない。それゆえに佐野政言は、田沼家の血筋を老中という地位にふさわしく粉飾するのに改竄してもよいと、佐野家の家系図を差し出したのだ。田沼一派として引き立ててもらうために。
佐野政言と直接対面している上に、系図の重要性を理解する意知は「家系図を返せと言われても、もう返せぬのです。なにとぞ佐野をお引き立てを!」と懇願するが、意次は気にかける様子はない。「足軽上がり」と侮られながらも実力で老中まで上り詰めた彼にとっては、血筋や由緒など意味がないのだ。
亡き平賀源内(安田顕)とともに語り合った豊かな国の姿。「民が富む仕掛けを作れば国が富む」。自分の領地である遠江・相良(静岡県牧之原市)でそれが実現したのを見た意次の理想は、この豊かさを日本国全体に広げることだと邁進する。
そこには「捨て置いてよかろう」と判断した者たちの心の内、鬱積への視点はない。
その男は、新之助!
ここで、蔦重の活躍を見てゆこう。
新作の青本と富本本、芝居とのコラボと絶好調の蔦重の行く手に、江戸市中の地本問屋らが立ち塞がった。鶴屋喜右衛門(風間俊介)と西村屋与八(西村まさ彦)は、耕書堂出版物の版木(板木)を彫る彫師の親方・四五六(肥後克広)に「耕書堂の仕事を受けたら、今後江戸市中の地本問屋の仕事は回さない」と圧力をかける。
腕のよい彫師でなければ、戯作が台無しだ。四五六親方への依頼を諦められず考え込む蔦重の下に、貧しい農民姿の男が訪ねてきた。
その男は、新之助(井之脇海)! 源内の紹介により、ある農村でうつせみ(小野花梨)と夫婦となって百姓をしているという。現在のうつせみの名は「ふく」。愛する人と一緒に暮らして、源氏名ではない本当の名を取り戻したんだね……よかったね。
「駆け落ち者としてはまっとうなところ、農村に落ち着いたとは」と感心する蔦重に、新之助は「農村は働き手不足なので、身元のことはうるさく言われないのだ」と語った。
戦乱が治まり、平和な世を迎えた江戸時代。民衆の経済活動は活発になり、様々な職業が生まれた。都市型の経済と職の多様化は農村にも影響を与え、田畑を手放し村を離れる者が多く出たという。文化13年(1816年)に成立した武陽隠士の随筆『世事見聞録』には、
「関東の内にも常陸・下野は過半荒れ地、潰れ家できたる由(略)人少なになり荒れ地できたるは、およそ百余年のこと也」
とある。18世紀頃から茨城、栃木の農村は人口減少と耕作放棄地で荒れていたのだ。離村離農は全国でも特に北関東で顕著であり、これは大都市・江戸に出やすかったからではないだろうか。諸大名は年貢徴収のために開墾を奨励したが、その田畑の維持、年貢納税が重い負担となって村に残った農民にのし掛かっていた。江戸で町民文化が豊かに花開く一方で、地方の農家、生命線である米の収穫はギリギリの人手で回っていたのである。
吉原から足抜けした駆け落ち者であっても、若い夫婦は大歓迎されたろう。新之助とうつせみ、いや「ふく」。この先に何が待ち受けていようとも、名前の通り福に恵まれてほしいと願う。
頼むよ神様、森下佳子様。
「往来物」作戦
新之助が村の者たちに頼まれたお土産の書籍が「往来物」だったこと、農村では江戸市中の地本問屋を通さずに本が流通しているという話から、蔦重は新たなビジネスのヒントを得た。
往来物とはナレーションにもあったとおり、子どもが読み書きを覚えるための本だ。
平安時代に生まれ、公家を中心とした文筆が達者な人々による往復書簡、手紙の往来の形式を取った文例集が始まりなので「往来物」という。時代につれて発展し、生活に密着した知識と教養、職業別に必要な知恵などを集めて編んだ多彩な実用本として広く普及した。
往来物なんてどこの本屋でも出してるだろう、今更だと反対する忘八らに蔦重は、
「往来物ってのは青本や洒落本と違って、一度板(版)を作れば何年でも使える、手堅い品なんで、持っといて損はないかと」「一つだけ、勝ち筋を思いついたんでさあ」
と持ち掛ける。ここからは、吉原の本屋ならでは、加えて楼主たちをバックにつけている蔦重でなければできない作戦展開だ。蔦重は、吉原に全国から集まってくる地方の名士、富裕層──越後(新潟県)の豪農や信濃(長野県)の豪商などのお座敷で、耕作、商売、それぞれの「往来物ネタ」について取材する。地方だけではなく、江戸市中では手習いの師匠にも意見を求めた。
その道のプロフェッショナルが、口を揃えて言うのは「ずっと思っていたのだが」。
往来物は、蔦重の言うように一度板(版)を作れば何年も使えるものだけに、内容は長いこと更新されない。これまでは、時代に、あるいは現場にそぐわないものが出版され続けていたということだ。蔦重の制作する往来物は、そこを突くことにもなった。時代にあった実用本として読者のニーズに応えたのだ。
出来上がった本は、取材に協力した旦那衆が大量に買い取り、それぞれの地元で配りまくってくれる。「自分が関わった本は自慢したいし、薦めたくなるのが人情」。地元の名士たる彼らはその後も耕書堂の味方となって、江戸以外の地域で独自の販路拡大に一役買ってくれた。
更に蔦重は、腕の良い職人の確保問題も解決する。四五六親方に年俸制を持ちかけたのだ。新たな版木制作を注文してもしなくとも、年20両の報酬。これより40年ほど後の本だが『文政年間漫録』には、妻と子との三人暮らしを営む大工の年収が大体26両くらいと記されている。四五六親方に提示された年20両は、確かに食べていける報酬であるらしい。しかも注文がない年でも必ず払われるという契約であれば請け負うだろう。
四五六親方と、蔦重のやり取り。
堅い桜の木を彫った手指を火鉢で温めてほぐす四五六親方を労い、死ぬまで大切に使うと版木を抱く蔦重。俺が彫った板で作る本は娘みたいなもんだという親方に、
蔦重「つまるところ、人ってそういうもんだと思うんでさ」「自分の子は可愛い。よくしてやりてえ。この子にはね、娘のように思う親父が山のようにいるんでさ」
版木を彫った親方だけでなく、草稿を作る作者も、絵師も、摺師も、蔦重たち版元も、みんな本を我が子のように思って扱う。蔦重がものをつくる人間として、同じくものづくりに携わる職人へのリスペクトを込めて語った。年俸制契約だけではない、この視点があるからこそ、四五六親方は耕書堂の仕事を請けたのだろうと思う。脅して圧力をかけてくる相手よりも組みたいと考えるに決まっている。
次郎兵衛(中村蒼)に蔦重が、「これまでの人生で多くの人から受けた恩と恵みを世の中に返してゆく」と耕書堂としての志を語る場面と併せて、とても良い場面だった。
蔦重「耕書堂を日本一の本屋にするしか道がねえんでさあ! 恩に報いるには」
冒頭、大繁盛する耕書堂で人を雇ったらどうかという松葉屋女将・いね(水野美紀)に「いい加減、戻ってきてくんねえかなと思ってるんですけど」と返事をしたときと同じだ。やっぱり蔦重の胸にはずっと瀬川がいるのだなと「恩に報いる」という台詞で感じた。
気になる誰袖
瀬川と蔦重が結果的に超えられなかった、女郎と吉原者の男が結ばれてはならぬというしきたり。それを超えようとして諦めない、かをり改め花魁・誰袖(福原遥)も、これからの物語上、気になる存在だ。誰袖といえば、古今和歌集の春歌上巻にある詠み人知らずの歌が思い出される。
色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも
(梅の花は香りこそが素晴らしいと思えるよ。ここに漂う香りは、誰の袖が庭の梅の花に触れて移したものなのだろうね)
誰袖は実在の花魁だが、振袖新造(見習い遊女)時代の源氏名はわかっていない。誰袖になる少女が「かをり」というのは、洒落た創作だと思い観ていた。
花魁となってもグイグイくる性格は相変わらず。厳しく監視する大文字屋の遣手(監督役)志げ(山村紅葉)も、なんだかんだ言って誰袖のことが可愛くて仕方ない様子が微笑ましい。
だが、愛嬌たっぷりの誰袖も、蔦重と同じく時代の波に巻き込まれてゆくのだ。
17話のラスト。あるときは北尾重政(橋本淳)風の青本挿絵を、またあるときは勝川春章(前野朋哉)風の役者絵を、そしてまたあるときは礒田湖龍斎(鉄拳)風の美人画を描く北川豊章とはいったい何者? もしやと思い当たる蔦重。うわあ、続きが気になる!
次週予告と、これからの『べらぼう』。
唐丸(渡邉斗翔)は歌麿(染谷将太)なの? 歌麿の師匠、鳥山石燕(とりやませきえん/片岡鶴太郎)が渋い。いよいよ絵師たちが本格登場してくるのね! 絵師だけでなく大田南畝(おおたなんぽ/桐谷健太)、元木網(もとのもくあみ/ジェームズ小野田)、智恵内子(ちえのないし/水樹奈々)ら狂歌師も続々と出てきた。水樹奈々の美声で高らかに謳い上げられる、下ネタ狂歌。躍動する江戸文化人たち!
18話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、安田顕、生田斗真、高橋克実、渡辺謙 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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