大和 先生が謹訳に着手されたのは、いつからですか。
林 2009年、ちょうど私が還暦を迎えたときからです。あまり長くなると私の意識や気持ちも変化してしまうと思ったので、最初は2年で仕上げようと。結局は3年8カ月ですね。
大和 そんな短期間で! 大変なエネルギーだったと思います。このたび読ませていただいたのですが、注釈もすべて作中に織り込まれているので、すごく読みやすい。和歌もすぐ横に解釈がついています。絶対に誰でもわかるぞという丁寧さで、林先生の親切心があふれている現代語訳でした。男性が訳すと、どうしても男性側の理屈が勝つ感じがあって、ちょっと違うなと思ったりするのですが、先生のはそういうところがまったくなかったです。
林 私自身、『私は女になりたい』という本を書いたことがあるくらいでして(笑)。「雨夜の品定め」にしても、紫式部という人は男の目から見ると、よくもこんなに男の気持ちがわかるなぁと感心するほどです。それでいて、女の苦悩はもちろんすばらしく書く。そもそも両性具有的な、旬の言葉で言えばトランスジェンダー的な視点を感じました。そんなすばらしい作品ですが、海外の人はアーサー・ウェイリーやドナルド・キーンの訳で読んでるのに、日本人は読まないというか、読めない。国文学を学んだわけでもない人が原文を読むのは困難です。それが若い人からこういう名作を奪っている。
大和 私の学生時代も、友人たちは「あんな長いものはとても」「隠居したら読むわ」とほとんど読んでいませんでしたね。思い返すと、「円地源氏」は格調高いけれど力強い、男っぽい文章でしたね。私自身は源氏物語がお勉強の対象でしかなかったのがもったいないなと思っていたんです。これほどのエンタメなのだから、みんなに読んでもらいたいという気持ちでいっぱいでした。
林 多くの人に広めたい。そこは共通ですね(笑)。私も、学問的に正確な解釈、すらすら読み進められる物語性、その両方にまたがって現代語訳した人はこれまでいないので、古典学者であり作家である自分の手でやってみたい、やるに値すると思ったんです。
大和 実は自分で描く前に、何人かに「面白いからやってみなよ」とマンガ化を持ちかけたんです。でも全部断られて、じゃあ自分でやるしかないかと当時の担当者に電話したら、「自分もいま同じことを考えていました」という返事だったんです。当時、読者として多くついてくれたのは、高校生、大学生、社会人……。年ごろの女性たちがふつうの恋愛ものとして楽しんでくれたのがうれしかったです。紫上(むらさきのうえ)が死ぬ前には、「(紫上を)絶対に殺さないでください」というファンレターをいただいたりしましたね(笑)。
林 そんな『あさきゆめみし』ファンが、じゃあ原典はどうなっているんだろうと遡ってくれるといちばんいいんですが、そこには深い溝があって……(笑)。ただ私は、せめて名場面だけでも原文で読むことをすすめたいですね。描写も、色恋模様が濃く煮詰まってくるような場面で人物を追っていたカメラアイが、次の瞬間に庭のほうにパンして、そこに紅葉や雪景色がある。紫式部は、花鳥風月と心理の重ね方が実にうまい。映画監督になれば、稀代の名手だったと思いますよ。
大和 あと、コメディ場面も上手でびっくりします。テンポがよくてちょっとした場面に笑える。「紅葉賀(もみじのが)」の源の典侍(げんのないしのすけ)とか、頭中将(とうのちゅうじょう)と近江の君の親子の掛け合いとか、好きですね。
林 怪談の語り手としてもすばらしい。夕顔が、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の生霊(いきすだま)にやられて死ぬ場面なんて、まるでエクソシストの世界ですよ。
大和 先生がこれぞ名場面だと思う、お気に入りのくだりはありますか。
林 私は、紫上に死なれた光源氏が失意でぼーっと過ごす1年を描いた「幻」という帖にある、こんな回想シーンです。内親王の三の宮が降嫁してきて、光源氏と結婚しますよね。当時は3日間通い、三日夜餅(みかよもち)の儀を終えなければ結婚と見なされない。源氏は紫上に、結婚してもあなたへの愛は変わらないと言うけれど、紫上にとっては苦しいことこの上ないわけです。その3日目の暁に紫上のもとに戻ってきた光源氏を迎える紫上の袖は涙で濡れている。女房たちと会話をしていた光源氏がその出来事を思い出し、ふと「でももうここに紫上はいないのだ」と無限の寂しさを覚えるという、あの場面はずいぶん力を入れて訳しました。