くらし

【あの本を、もういちど。岸 惠子さん】50年間忘れていた小説との再会! 私には奇跡にも似た出来事でした。

  • 撮影・青木和義 文・一澤ひらり

人は時代を身にまとって生きていくんです。私の読書は新しい地平を切り拓く手立て。

女優、作家 岸 惠子さん

激しい空爆下のテヘランで 命がけで読んだ外交ドキュメント。

その行動力には驚かされるが、イラン・イラク戦争只中のテヘランで、岸さんは『ホメイニに敗れたアメリカ』という一冊の本を手にした。
「ケネディ政権下、大統領補佐官として活躍したピエール・サリンジャーが、テヘランの米大使館占拠事件を追ったドキュメントで、パナマに亡命したパーレビが逮捕をなぜ免れたのか。イランの政情をひもといてくれたんです」

岸さんの本には、「時差を考え忘れて、パーレビ逮捕失敗」という書き込みをはじめ、たくさんの傍線が引かれて相当に読み込んだ痕跡がある。
「何も知らずに戦火のイランで一から勉強したようなものでしたから、命がけで読みました。空爆が激しい時で、私が泊まっていたホテルにはカラシニコフを持った防衛隊がいて、さすがに怖くなって、日本の新聞社の入っているビルのテレックス室に泊めてもらったんです。テレックスの音がカチカチ鳴り続けて眠れませんでしたけど」

この体験をもとに岸さんは『砂のへ』という渾身のルポルタージュを書く。
「長くフランスに暮らしていると、国と国が陸続きのヨーロッパ情勢には敏感にならざるをえないし、常に自分の問題として考えることを求められるんです。しかも幾度となく、歴史のターニングポイントに立ち会って、動いてゆく世界の鼓動を聞き取り、肌で感じてきました。その時、本がいつも新しい地平を切り拓いてくれたんです。思えば、私は歴史の実況中継のように本を読んできたんですよね」

小説『愛のかたち』(文藝春秋)。愛を求めてさまよう豊潤な男女の物語。

40年以上に及ぶパリでの生活を経て、日本に居を定めて17年余り。この数年は『わりなき恋』『愛のかたち』と大人の恋愛小説を上梓してきた岸さん。
「日本語はヨーロッパの言語のように、論争に勝つための強い言葉ではありません。優美で繊細で陰影があって、感情表現がとても豊かです。だから私はこれからも一張羅の美しい日本語で書き続けていきたいですね。言葉の魂が卑しいのは大嫌いなんです」

いつも傍らに本があった。岸さんにとって読書とはたとえ読んだことすら忘れ去ったとしても、何かが残り、堆積していくもの。それこそが豊かな精神の土壌となって、いつか花ひらく。

岸 惠子(きし・けいこ)●女優、作家。神奈川県生まれ。1951年に映画デビューし、日本を代表する女優に。’57年、渡仏し、作家、ジャーナリストとしても活躍。2013年に発表した小説『わりなき恋』はベストセラーになった。

『クロワッサン』979号より

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