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脳科学者が母の認知症介護で実感した「言葉に頼らない接し方の大切さ」

母親が認知症という診断を受けて8年間の介護を経験した、脳科学者の恩蔵絢子さん。思いもよらない気づきがたくさんありました。

撮影・北尾 渉 構成&文・中條裕子

脳科学者が母の認知症介護で実感した「言葉に頼らない接し方の大切さ」

常に生き生きして好奇心いっぱいだった母親の変化に気づきながら、最初はなかなか病院へ連れて行けなかった、と振り返る恩蔵絢子さん。8年にわたって傍で介護をしてみて、初めてわかったことが数多くあったという。その始まりは、アルツハイマー型認知症の診断を受けた瞬間だった。

「母に変化が表れた頃、私は13年ほど脳科学を研究していて、それなりにその分野には詳しいはずでした。でも、少しの物忘れは歳を取ったら誰でもあるからと、なかなか認知症を受け入れられなくて。そのうち、母が立ち止まったまま、困って頭をかく仕草がよく見られるようになっていきました」

そうした状態が10カ月ほど続き、いよいよ病院に行かなくては、というきっかけとなった出来事が起こる。

「母は音楽家で、初見でピアノが弾ける人でした。それなのに、1年以上も練習してきた合唱団の本番の舞台で楽譜が追えず、横の人に『今どこ?』と聞いている姿が客席から見えて『これは普通の物忘れと違うことが起こっている』と思いました。でも、最初は病院に行くのが難しかった。“もの忘れ外来”行ってみる? と聞くと『私を変だと思っているの?』と反発されてしまい……」

そこで一計を案じ、かかりつけ医を介して、自然な流れでもの忘れ外来へと辿りつくことができた。

認知症の診断を受けて、 原因がはっきりとした

「母は毎年かかりつけ医のところでインフルエンザの予防接種を受けていたので、その際に事前に話しておいて、『記憶など最近心配ではないですか?』とお医者さんから振ってもらったんです。そうしたら、お医者さんには素直に心配ですと答えて、そこからはパアッと道が拓ける感じでした」

専門の病院でアルツハイマー型認知症の診断を受けたが、その後は少し家族に笑顔が戻ったという。

「病院に行って何がよかったかというと、原因がはっきりしたこと。母の脳の画像を見せてもらったら、海馬にちょっと傷があるだけだった。最近のことを覚えるのが海馬の役割なので、そこを補えばいいのだとわかった。認知症と診断されるまで、私も母も絶望して、今までやっていた料理や、大好きなこと全部を手放してしまうんだと思っていたんです。けれど、料理ができないのは技術がなくなったわけではなく、今何をしようとしていたのかなど、最近の記憶を維持しておくことに問題があるから。途中、どこまでやったかを思い出させてくれる人がいたら続けられる。認知症、特に初期の場合は『それだけのことなんだ』と、認識が変わったきっかけが診断でした」

その後は週3回、一緒に料理をするなどしていたが、また3年ほど経つと恩蔵さんが補うだけでは、料理することが難しくなっていった。

「そういう時でも変わらないことがあるんです。私が一人でやっていると気になって台所に見に来るから、トマト切ってくれる? と料理の一部をお願いすると、やってくれる。すると『まだ私にできることあるんだ』と笑顔が見える感じで。少しずつできないことは増えていき、どのように補ったらいいだろうと悩んだりもしたけれど、母が関心を持つものは変わらないので、『やはりこうしたことに関心がある人なのだ』と、改めてわかってくるというような暮らしになっていきました」

これまで普通に家族として暮らしてきた間には、特に意識してこなかったことが見えてきたという。

言葉とは違う回路を使って、 記憶が蘇ることもあった

「認知症になったら記憶も何もなくなると思うじゃないですか。でも、そんなことはない。母が亡くなる間際、私の名前を正確に呼べたかというとそれは難しかった。家族は『私の名前は何?』と確認しようとするけれど、記憶にアクセスする回路は言葉以外にたくさんある。『覚えていますか?』と問われて辿り着けなくても、その時と同じ匂いがしたら思い出すとか。言葉は最も難しい回路なのでそれでピンとこなくても、記憶が消えているわけではない。たとえば、家族を忘れていないことは表情を見ていればわかります」

言葉でコミュニケーションを取るのは難しくとも、思いもかけない形で実際に記憶が蘇ってきて驚かされたことも。その一つが音楽だった。

「海馬の萎縮が重度といわれた頃、会話が通じにくくなって最も苦しんだ時期に、音楽療法を紹介されて。療法士さんが家に来て母の横で『こういう曲お好きですか?』とピアノを弾いたら、イントロクイズのようにわっと歌い出したんです。いつの間にか二人でセッションになっていた。こんなにすごい能力を知らずにいたんだと思いました。ただ歌うだけでなく、眉間に皺を寄せて感情を込めて表現をする。言葉では悲しいと言えなくても、音楽ならその気持ちを表現できたりするんです」

その姿に驚き、普段自分から表現することはできなくとも、いろいろなことを感じているのだとわかった。

「最後は骨折して寝たきりになってしまい、有料老人ホームに入っていました。食べることができなくなって亡くなる前日に、コロナで面会できなかった音楽療法士さんに来てもらえたんです。ピアニカを弾くと、母はハミングしたり、リズムを取ったりしていました。音楽療法が終わった後は、私のことをずっと目で追ってくれていて。最後に興味があるのはあなただよ、と示してくれたんだと思っています。その頃には、もう言葉は全然出なくなっていましたけど、それ以外にわかることがたくさんあった。ただ、私はいろいろなことにとらわれて、そうしたことになかなか気づけませんでした。母の一番いいところだけを見るのは難しくて、たくさん怒ってしまったり、嫌な気持ちになったり。介護をしている間はそんな8年間でした。けれど、人間とは何かということを知るには、深い勉強になった。相手への期待を取り払って、この人は何に興味あるのだろう? どういうことを大事にしてきたのか? そうした目を持つことを学ぶ時間だったのかなと、今は思います」

若い頃から料理好きで、認知症診断後も共に台所に立っていた
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亡くなる半年前に、父と3人で岐阜へ出かけた家族旅行の記念の1枚
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介護が始まってから起こったことは記録として日記に残した
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  • 恩蔵絢子 さん (おんぞう・あやこ)

    脳科学者

    専門は自意識と感情。東京大学大学院総合文化研究科特任研究員。著書に『脳科学者の母が、認知症になる』『感情労働の未来』、共著に『認知症介護のリアル』。

『クロワッサン』1174号より

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