『迷子手帳』著者、穂村 弘さんインタビュー。「迷子であり続ける人のための手帳です」
撮影・石渡 朋 文・鳥澤 光
「迷子であり続ける人のための手帳です」
世界はいたるところ道に覆われていて、正道や王道から無数に伸びる小道もあれば、非道や無道なんてものもある。
短歌をとおして「現実の中のエアポケットみたいなもの」を可視化し続けてきた歌人の穂村弘さんが、小道に迷い、時に道なき道を拓くようにして綴った『迷子手帳』。北海道新聞で2010年から続く連載を中心に、57編をまとめたエッセイ集だ。
「猫や父親といったファクターがいくつかあるのですが、新聞の連載が長期にわたることもあって、一冊にまとめることで時間的推移が見えるのが面白いな、と選んでいきました。父のことは元気なときはそんなに書く気がしなかったんです。だけど、老いによって人の時間というものが、赤ちゃんや猫なんかと同じく、一日一日が可視化されるようになっていったんですよね。いずれ我々も知ることになるだろう、この感覚を書き残したいという気持ちもありました」
88歳を前に2度目の富士登山を目論み、9階の自宅まで階段で上り下りする父に驚いたり、亡き母との夫婦の会話を思い出したり、サッカー選手のスアレスを「歯並びがいいよね」と評する妻の言葉に「?」を浮かべたり。《いつもインコを肩にのせている神秘的な少年》を目指すも失敗、バレンタインデーの曜日を調べては休日だとほっとしていた青春時代の思い出も、現在進行形の生活も、鮮やかな言葉に移し替えられていく。
《自分にとって未知の要素を含んだもののすべてが怖い》と書く穂村さんは、しかし、否、だからこそ、思考と言葉によって真新しい扉を探りあてる名人でもある。
小道の先、扉の向こうに世界のポテンシャルを夢見る。
「思いがけないところに扉があって、それを開くと素晴らしいことが起きるという、いわば世界のポテンシャルに対する夢を持っているんです。江戸川乱歩や大島弓子の作品を愛する気持ちにもつながる“児戯に等しいもの”への執着もあって、それこそが、たとえば父が遺した株の値のあれこれよりもよほどリアルに感じられます。ただしこの感覚は現実のベクトルとは同調しないので、生活するうえでは困ることが多いですね。でも、困った体験だってエッセイとして書けば現実の事象になる。読んでくれる人もいて、また別種の価値がそこに生まれてくるんだと思います」
終盤、父を看取った穂村さんのもとに《夜の仲間》がやってくる。
「仔猫は言うことを聞かないし、仕事の邪魔もするし、破壊力もすごい。これが人間の子どもだったら絶望してしまうくらいなんだけど、猫だというだけで何をされてもうれしくなってしまうんです。車に乗らなければ道が一方通行かどうかを意識しないように、猫がいることで初めて気づくことがたくさんあります。猫じゃらしってこんなにそこいら中に生えてるんだ、っていうのも新しい発見でした」
丸顔の猫が浮かぶ小さな手帳が、世界を迷う楽しみを教えてくれる。
『クロワッサン』1125号より
広告