次代を担う若手政治家たちを陣営に取り込むため、道隆(井浦新)の妻・貴子(板谷由香)提案の漢詩の会が開かれる。ついに、のちの清少納言……ききょう(ファーストサマーウイカ)が登場! なんと勝気そうな、そしてなんと快活そうな娘だろうか。見た目だけですでに満点である。それにしても、この場面は『小倉百人一首』の歌人が大渋滞だ。なにしろ画面の中に5人もいる……。紫式部、清少納言、藤原公任(町田啓太)。清少納言と藤原公任の歌についてはそれぞれ第2回 (記事はこちら)、第3回 (記事はこちら)のレビューで触れた。そして、あとの2人は貴子と、ききょうの父・清原元輔(大森博史)である。
儀同三司母(貴子)
忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな
(けして忘れないと、いつまでも私を思ってくださると、そうした約束は永遠ではないのですから。その言葉を聞いた今日幸せなまま死んでしまいたい)
『百人一首』のこの歌は、道隆と結ばれた頃に詠んだものだという。情熱的で気品溢れる歌だ。貴子は内侍として宮中に仕えていた。漢字を読み書きし、和歌にも漢詩にも才能を発揮した活躍が『栄花物語』『大鏡』などにある。内裏で貴族達と交流していたからこそ、道隆に漢詩の会を提案できる……ドラマ内の展開は納得であった。
清原元輔
ちぎりきな形見に袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
(お互いに涙を拭った袖を絞るくらい泣いて誓いましたよね。末の松山を波が越すことがありえないように、けして心変わりはしないと)
清少納言の父・清原元輔は歌人として名高い。『後撰和歌集』の編纂に携わった高名な人物では厳めしいかと思いきや、機転が利き、人を笑わせることを好む楽しい人物であったことが『今昔物語』などの逸話に伝わる。清少納言の頭の回転の早さ、機転は父譲りのものかもしれない。
さて、公達らの漢詩は白楽天(白居易)が主だった。公任だけがオリジナル作詩。
「詩にはその人の思いが表れる」と貴子は言った。ここで集った彼らがどんな思いを詩に託したのか、道隆の台詞と併せて考えてみた。
行成(渡辺大知)の気持ち→ここにいない君を思う(君=円融帝の治世を懐かしんでいる?)。
斉信の気持ち→今すぐ俺にふさわしい仕事をさせてくれ。
道長の気持ち→白楽天が友(元微之)に捧げた詩を、まひろにだけ伝わるラブレターとした。君を想う。君が傍にいない日々は虚しい。
公任の気持ち→帝の御世は泰平なのだから酒を呑んだ後に詩を楽しんでもいいじゃないですか(これは皮肉か。花山帝の政は不安定である。道隆の政敵陣営主催の酒宴に招かれた後ここに来たことを責めてくれるな、と言っているようにも聞こえる)。
道隆は、漢詩から若者たちの今の政に対する憂いと願いを受け取った、ともに手を携えてやっていこうと語りかけたのだ。彼らの教養と訴えを理解して汲み取り、実にスマート。そりゃ国を動かすために研鑽を積んできた若者の身になれば、呑みュニケーションよりも、こちらのほうが心に響く。ついていきたくなる。
風雅な遊びの会のようでいて、ガッツリ政治の場であった。
そう、平安貴族の遊びは政治と繋がっている。
貴公子それぞれの筆の運び方、漢詩を、キャストによる訳文ナレーションで語る演出、そして冬野ユミの音楽。みどころの多い場面だった。