【山田ルイ53世のお悩み相談】シングルマザーになったことを申し訳なく感じています。
撮影・中島慶子
<お悩み>
シングルマザーです。
6年前に離婚しました。離婚理由は色々ありますが、外で働きたい私と、家事や育児は死んでもやりたくないという元夫とのすれ違いです。現在は忙しくも、やりたい仕事をし、私自身の心は満たされています。
一方で、子供達の事を思えば、自分が我慢しさえすれば、世間一般的な家庭で育ててあげることができたのにと、大袈裟でもなく、毎日思います。
父親役が出てくるドラマ・CM、シングルマザー関連のニュース、息子のサッカー、娘の部活で会う他の子のお父さんなどを見るたび、子供達のことを思って後悔ではなく、申し訳ない気持ちになります。
子供達は、私たちの諍いも見ていたことから、私を責めるようなことは言いませんが、正直この罪の意識のようなものをいつまで抱えるのかと考えると、気が遠くなります。
友人・知人には相談し、聞きたい言葉もたくさんもらいました。あなたは悪くない、子供達もまっすぐに育っている。正しい選択をした。
それでも毎日思います。自分のせいで不完全な家庭にしてしまった。他のお母さんたちは当時の自分より我慢しているのにと。
山田さま、この気持ちを無くすには、どうすればいいのでしょうか。
シングルマザーの貧困が叫ばれている中、正社員で再就職できた自分は恵まれています。
結局、自分だけが満たされればいいのかと、思うとつらいです。
(ピエロ/女性/メーカーで貿易事務をしている、40代の正社員です。小学6年生の息子と、中学3年生の娘がいます。)
山田ルイ53世さんの回答
「子供達に申し訳ないことをした」と罪の意識に苛まれているピエロさん。
離婚したのが6年前とのことですから、ちょうど娘さんが小3、息子さんが小1の頃でしょうか。
いや、筆者にも覚えがありますが、小学校は何かと保護者が召集される機会も多い。
その分、心細い思いをすることもあったのかもしれません。
しかし、「自分のせいで“不完全な家庭”になった」というのはどうでしょうか。
「子供たちは、私たちの“いさかい”を見ていた」と文面にありますが、喧嘩の絶えない両親の姿を日常的に目にしてしまうような環境が、彼らにとって「完全な家庭」のはずもない。
そもそも、家族や家庭を、“完全”だの“一般的”だのとカテゴライズする、その物差し自体いかがなものかと思うのです。
国民的アニメ『サザエさん』……あの海産物擬人化ファミリーでさえ、もう随分前から、一般的という言葉にはあてはまらない。
今や絵に描いた餅ならぬ、“刺し盛”でしかないでしょう。
現実の世界では、ただそれぞれの家族が、それぞれの事情を抱え、“そこにある”というだけ。
“シングル”などと自ら、ましてや他人が勝手に“引き算”にしてしまう風潮にこそ、筆者は違和感を覚えます。
別に、何も欠けてなどいないのです。
現在はやりたい仕事に就き、満足していると仰る相談者。
その一方で、
「自分だけ満たされていれば良いのか?」
と気に病んでおられますが、この場合はむしろ、
「あのときは、自分を優先した」
「自分のことで頭が一杯だった」
と一切合切飲み込んで暮らしていくのも、一つの手かなと思うのです。
過ぎ去ったことを、
「あれで間違っていなかったのだ!」
と肯定したい、されたいがあまり立ち止まっているより(筆者は相談者の判断が悪かったとは全く思っていませんが)、キッパリ否定して先に進む。
過去の出来事に、意味や意義を求めすぎるというのも考えもの。
ときには罪悪感という多少の重しを背負った方が、人生のバランスが取りやすいということもあります。
いずれにしても、毎日顔を合わせる親が、心の内では「不完全な家族」などと考えている事実の方がお子さん達を傷付けかねません。
敏感に察し、不安になることもあるでしょう。
相談者ご自身の後悔や罪の意識と、娘さんや息子さんの人生は別ものなのだと肝に銘じて下さい。
お幸せに。
広告