『江戸の夢びらき』著者、松井今朝子さんインタビュー。「世の中の暗いものを払ってくれる存在」
撮影・文藝春秋写真部(著者)黒川ひろみ(本)
「世の中の暗いものを払ってくれる存在」
日本人なら知らぬものはない歌舞伎界の大名跡、市川團十郎。
現在も演じられる「荒事(あらごと)」の表現様式を舞台で初めて演じたのが、その初代。
見栄や六法といった、江戸歌舞伎といえば誰しもが思い浮かべる型を造り上げ、狂言作者として台本を練り、役者としても一世を風靡した初代團十郎。華々しい活躍が伝わる一方、謎もまた多い。最たるものがその死。人気絶頂のさなかに舞台で刺殺されるという最期を迎えているのである。
「調べていくと、初代はとてもミステリアスな存在なんです。資料がないわけでないのに一度も小説になっていない。なぜなんだろう、祟りでもあるのだろうかと」
松井今朝子さんも、そう首をかしげるほど。生涯を通してその姿に迫るのは、本書が初となる。
初代團十郎の台本で感じていた、不思議の原点にあるものとは。
物語は冒頭、海老蔵という名で呼ばれていた少年が、一人の僧侶の入定(にゅうじょう)を目撃する場面から始まる。多くの見物人の目前で、衆生を救うためと宣言しながら生き埋めにされる僧侶の姿は、主人公とともに読み手の心にもインパクトを残し続けるエピソードである。
「この話は実際にあった史実です。團十郎は数々の台本を書いていますが、亡くなった人間が最後に神仏となって甦るというシーンがとても多いんです。不思議な終わり方だな、と思っていて。團十郎の舞台では、善人だった人が悪人になり、最後は神となって再び現れる。このストーリーは何なんだろうと、ずっと気になってた。そのとき『武江年表(ぶこうねんぴょう)』という資料で如西という僧侶がこの時代、『自分は鍾馗になって衆生を救う』と宣言して入定したという記録を見つけて、ばーっとリンクしたんです」
一気に腑に落ちたのだという。この「甦り」というフレーズは、たびたび物語の中に浮かび上がってくるモチーフのひとつである。
「このころ、人間はどんどん死んでいく、そういう時代でした。タイトルの『夢びらき』の夢も、当時はナイトメアの意味で使われることが圧倒的に多いんですね。今はドリームですけど、昔は悪夢のニュアンス。それを考えたときに、悪い夢をばーっと拓いてくれる、そんな存在としての團十郎をイメージしました。歌舞伎の原初的な感じの中で信仰と芸能がまだ密な時代に生まれた存在、だからこそ後世まで名を遺すような大変な芸能人だったのだろうと思います」
團十郎が活躍した時期は、江戸も壊滅的な被害を受けた元禄大地震が起こり、その4年後には富士山の噴火が続く。大災害が身近にあった時代なのである。江戸の街が活気づいて賑わいを増す一方、容赦ない天変地異が襲いかかる。そんな時代に、打ち上げ花火のように暗やみを鮮やかに照らした初代團十郎。
活き活きと浮かび上がるその姿をひたすら追っているひとときは、何ものにも代え難い楽しさを味わえること間違いなし! これぞ読書の醍醐味、江戸の街を團十郎を、ぜひご体験ください。
『クロワッサン』1029号より