くらし

恐れる私の「正義」。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」

最近、ネットでの誹謗中傷が話題になっている。昔、何かの話の流れで私が先輩に言った何気ない言葉を思い出した。「私が思春期の時、インターネットがなくて良かった」。
その頃はまだFacebookもない時代だったけれど、掲示板が流行っていて、公衆トイレなどの落書きが、インターネットの場に移ってきたという印象があった。そして、私自身、その当時から未だに感じているのは、被害者になる怖さ以上に加害者になる怖さだ。私には加害者になる素質があると感じていた。

多くの物語は、何が正義で何が悪かがすみわけされ、正義はいつか報われ悪は成敗されるという話が多く、それが真理だと信じている時期が私は長かった。思春期にその感覚はより強くなり、自分が信じる正義を全うすることに心血を注いだ。
感じたことをなるべく正確に表に出そうとする気質は今でも変わらないが、「自分が信じる正義」が未熟で疑わしい時期に、その表明に心血を注ぐというのはとても危険だ。それでも、そんな危険な行為を繰り返しながら、周りの反応から多くを学んだし、その当時の経験は私にとってとても大切なものであることは否めない。
でももしその時、私の手の中にインターネットの世界があったならと考えると、身の毛もよだつ。当時の私は「未熟で疑わしい正義感」に殴られた人の気持ちを考える、などというところに至ることはできなかった。それがSNSでのやり取りが中心になると、現実に対面せず完結してしまうコンビニエントなコミュニケーションとなり、更に相手の存在が希薄になる。だからきっと私は、送信ボタンを押すだけで排泄行為の後のような爽快感を得るのだろう。
一方、それを受信した側は、現実世界で殴られたのと同質の痛みを蓄積していくことになる。このバランスはどう見てもフェアではない。
爽快感を求め、未熟な正義を振り回す自分への恐れが原因で、今も私はSNSというツールを使わない。でも、未熟だからって私のような選択は、日和見だとも感じる。誹謗中傷への正しい対応が確立して、未熟なものも参加できる空間になればと、切に願う。

束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/ にて。

『クロワッサン』1026号より

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