『兄の終い』著者、村井理子さんインタビュー。「いま兄を思うと、けっこう好きだったな、って」
撮影・黒川ひろみ(本)福森クニヒロ(著者)
大人になれば(あるいはなる前に)誰もがを肉親を喪う経験をする。その大事件を、突然、警察からの電話で知ったとしたら?
著者の村井理子さんの携帯に、ある日の夜11時に見知らぬ番号から着信があった。とっさに家族全員を見渡して〈自分にとって最悪のことは起きていない〉と確認する村井さん。電話は、遠い東北で実兄の遺体が発見されたと告げた。
兄は7年前に離婚。両親はとうに鬼籍に入り、小6の甥が残され、動けるのは自分ひとり。本作は、妹が5つ上の兄を荼毘に付し、元妻とともにその後始末に奔走する5日間のドキュメンタリーだ。
兄との仲は良好ではなかった。
〈乱暴で、人の気持ちが理解できない勝手な男〉。職を転々とし、持病を抱え困窮生活を送る兄。アパートの保証人になってくれと泣きつき、嫌々引き受ければ家賃を滞納する。母や叔母には〈心だけは優しい子〉と受けがよく、それが一層堅実な妹を苛立たせた。
亡骸が発見された兄のアパートの部屋。元妻と一緒にその鍵を開ける場面は、ノンフィクション作品を多く手がける翻訳家らしい、客観的で無駄のない筆致が冴える。
〈差し込んだ鍵をゆっくりと右に回した。なんの抵抗もなく、するりと鍵は開いた。ゆっくりとドアノブを回した。ーー最初に感じたのは、強い異臭だ〉
「アパートの大家さんも不動産会社の人も、部屋には怖くて入れなかったと言っていました。そこに自分が踏み込んで行くというとき、怖いと同時に、職業的な好奇心があったのは事実です。『自分はすごいものを見ている。これは記録して残しておかなくては』と」
部屋に残された兄の履歴書、警備員の制服、手作りの漬物。壁に画鋲で貼られた数々の家族写真に、
〈幸せコレクションだと私は思った。兄の五十四年の人生で、もっとも幸せだった時期の写真を集めたコレクションだ〉。
つらい現実のなかにも笑いの起こる瞬間がある。
兄に対する心情が、それらと向き合うなかで変化していく。遺品をゴミ処理場で投げ捨てながら、
〈私は兄に対する怒りも少しずつ捨てていった。(中略)確執も、ゴミと一緒に暗い穴に落ち込んで行くように思えた〉。
書き終えたことでお兄さんへの気持ちは変化しましたか?
「日にちが経って、かわいそうなことをしたと思いました。思っていたより憎んでなく、けっこう好きだったな、って。そしてもし立場が逆だったら、兄は私に手を差し伸べてくれただろうとも」
作中、もういない兄を中心に繋がる人々が多数登場する。警察官、役場の人、葬儀社の担当者、甥の担任。ひとりひとりを描写する視線の温かさと、ちりばめられた笑いが、作品世界を明るくしている。
「あまりに酷いことが多いと、笑っちゃうものですよね? そのリアルもきっちり書きたくて」
泣いて怒って笑い、残った者たちの人生は全てを抱えて続くのだ。
『クロワッサン』1025号より
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