もともと人の日記を読むのが好きだったという滝口さんに、日記の魅力について聞いた。
「日記じゃないと書けない出来事は尊いです。小説と違って実際にその人が見たり感じたりしたことが揺るぎなくある。ぼろっとしたそのままの文章です。書いた人はこれをとどめておこうとしたんだ、と思うとぐっときますね」
自分で日記を書くことはこれまでの考えをより一層強固にした。
「僕が文章を書くときは思いだすことと忘れることのせめぎ合いです。言葉を残そうとしても全部は書ききれない。どうしたら多くのことを書き残せるか。忘れてしまうことへ抗う、一番原初的な方法が日記だと思います」
毎日書くことでそんな日記の特性を強めたかったというが、実は。
「出来事の起こったその日のうちに書いていないんです。アメリカに着いてから、この体験について何か書いてみないか、と打診されて。4回の連載でしたが、いつも締め切り直前まで書けなかった。何週間か後にまとめて書いたんです。でも、おかげで思い出すという作業の意味が大きくなりました」
出来事をあたため、1日ずつ振り返りながら書くことは文章に楽観的な視点を与えた。
「特に最初のころはまだみんなと親しくなかったし、わからないことだらけで。でも時間が経ってから書いたので、その時の悲しさはすでに笑い話でした。いつ思い出すかによって書き方・記憶は変わってくる。何が本当かは誰にもわかりません」
参加者の一人でインドの詩人・チャンドラモハンに関する文では記憶の儚さについて触れている。
〈私たちはやがて別れて、多くのことを忘れる。私はチャンドラモハンと、そして他の作家たちと、やがて忘れてしまう私たちの過程の、途中にいまいる〉