くらし

『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』著者、滝口悠生さんインタビュー。「日記だからこそ書けることが尊いです」

「日記だからこそ書けることが尊いです」

滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)さん●1982年、東京都生まれ。2011年「楽器」で新潮新 人賞を受けデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年『死んでいない者』で芥川賞受賞。『茄子の輝き』『高架線』など著書多数。

世界から集まった書き手が約10週間を過ごす、IWP(インターナショナル・ライティング・プログラム)がアメリカのアイオワ大学で毎年行われている。2018年に参加したのは27カ国28人。そのうちの一人が作家の滝口悠生さんだ。本書はその日々を日記として綴っている。
滞在中は参加者が交代で朗読会をしたり、大学で授業を行う。何か提出物があるわけでもなく、行動に制限もない。プログラムと聞くと多忙な様子をイメージするかもしれないが、むしろ真逆で、滞在期間にアイオワ市を離れて他の大学に顔を出す人も。散歩をしたり、飲み歩いたり、文筆家たちは次第に親交を深めていく。

「台湾から来たカイとはすごく仲良くなりました。カイも僕と似て、人間観察をするタイプ。どちらかというと喜怒哀楽を豊かに表現する人が多かったので観察対象が豊富で見飽きなかった。みんな気づいていないけど、僕らだけ『あの人いますごく怒っている』と気づく、みたいなことも(笑)」

いつ、どう思い出すか、それによって日記は変化する。

もともと人の日記を読むのが好きだったという滝口さんに、日記の魅力について聞いた。

「日記じゃないと書けない出来事は尊いです。小説と違って実際にその人が見たり感じたりしたことが揺るぎなくある。ぼろっとしたそのままの文章です。書いた人はこれをとどめておこうとしたんだ、と思うとぐっときますね」

自分で日記を書くことはこれまでの考えをより一層強固にした。

「僕が文章を書くときは思いだすことと忘れることのせめぎ合いです。言葉を残そうとしても全部は書ききれない。どうしたら多くのことを書き残せるか。忘れてしまうことへ抗う、一番原初的な方法が日記だと思います」

毎日書くことでそんな日記の特性を強めたかったというが、実は。

「出来事の起こったその日のうちに書いていないんです。アメリカに着いてから、この体験について何か書いてみないか、と打診されて。4回の連載でしたが、いつも締め切り直前まで書けなかった。何週間か後にまとめて書いたんです。でも、おかげで思い出すという作業の意味が大きくなりました」

出来事をあたため、1日ずつ振り返りながら書くことは文章に楽観的な視点を与えた。

「特に最初のころはまだみんなと親しくなかったし、わからないことだらけで。でも時間が経ってから書いたので、その時の悲しさはすでに笑い話でした。いつ思い出すかによって書き方・記憶は変わってくる。何が本当かは誰にもわかりません」

参加者の一人でインドの詩人・チャンドラモハンに関する文では記憶の儚さについて触れている。

〈私たちはやがて別れて、多くのことを忘れる。私はチャンドラモハンと、そして他の作家たちと、やがて忘れてしまう私たちの過程の、途中にいまいる〉

文芸誌に掲載された日記を改稿し、関連原稿も加えた一冊。’18年のIWPに参加した書き手の関係性の機微を綴る。 NUMABOOKS 1,800円

『クロワッサン』1024号より
撮影・黒川ひろみ(本) 金川晋吾(著者)

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