お店に奉公にあがった息子が藪入りで帰ってくる、その蟇口(がまぐち)の中には子供には分不相応な大金が入っているので両親が盗みでも働いたかと案ずると、実はネズミを捕まえたお金だったというだけのあらすじですが、帰宅前夜の父の嬉しさ、当日顔をあわせたときの戸惑いなどが胸をうったり笑いを誘ったりという、すぐれた噺です。
けれど、噺の内容がよくできている割に、サゲ(落ち)が稚拙という指摘が多いネタでもあります。お金が手に入ったのはネズミの懸賞に当たったから、そして当たったのはご主人によく仕えたためというので、「忠(“チュウ”というネズミの鳴き声とかけて)のおかげ」という地口(洒落)です。地口は能がない、“忠”が時代錯誤などの理由で、多くの演者が落ちを変える試みをし、ちなみに私もその一人。しかし、後世に定番として残るものが生まれていないのも面白い現実。変えるにしろ変えないにしろ、噺がより魅力的になるため、という気持ちは忘れたくないものですね。
ともあれ一日も早く穏やかな落語日和が再び訪れますように。