ずいぶん前の話です。子供のためにと久しぶりに絵本売り場に足を踏み入れた時、突然、記憶の蓋がはじけ飛びました。ああ、これ持ってた。それは幼稚園の教室にあったやつ。あれは確か歯医者さんの待合室で読んだ……。
寝転んで頬杖をついた畳の感触、名前もおぼえていない幼稚園のクラスメイトの顔、不安をかきたてる消毒薬の匂いとキーンという歯を削る音。その本にまつわるあれこれが一気によみがえり、思わず立ちつくしてしまいました。どうやら子供のころに読んだ本というのは、特別な力を持っているようです。
その日、懐かしく手にとったうちの1冊が、角野栄子さん作、佐々木洋子さん画の『スパゲッティがたべたいよう』です。
これらに影響を受け(笑)、カレーライスの絵本を自作した記憶があります。今、雑誌作りを仕事にしているあたり、三つ子の魂なんとやらでしょうか。ただし、幼稚園児には制作の負担が大きく、シリーズ化は断念……。
ああ、もう大好きだったよ、おばけのアッチ! なんで君のこと忘れてたんだろう。えびフライのカリカリしたしっぽやカステラの茶色いべたべたしたところがおいしいってことを、教えてくれた人(じゃなくておばけだけど…)なのに!(少々説明すると、これは「小さなおばけ」シリーズの1冊。アッチという、食いしん坊のおばけの男の子が主人公で、他にソッチやコッチというおばけが出てくるお話もあります)。かつてこのシリーズが大好きだった私は、子供がもう少し大きくなるのを待ち、この本を再び手に入れました。
「小さなおばけ」シリーズは今年で40周年。ロングヘアーの角野さんを発見! 写真を撮るため机の上に何冊か重ねておいたところ、今や高校生となった我が息子が「懐かしい、この本!」と読み直していました。
個人的な話が長くなりましたが、今回、大人のマナーについてうかがうため、角野栄子さんのご自宅にお邪魔しました。かつて夢中で読んだお話を書いた人に会えるなんて、人生、本当に思いがけないことがあるものです。
通されたリビングは、そこにいるだけで元気がわいてくるような居心地のよさ。いちご色に塗られた壁と赤いソファ、飾り棚に並べられた小さく愛らしい置物、カメラ目線が上手な愛犬ロメオ君、そしてぎっしり本が詰まった大きな本棚……ん? よくよく見ると、棚にアッチの指人形がちょこんと置かれているではありませんか。気になる!
本棚の前に立つ角野さんの写真を撮っているフォトグラファーに「できたらアッチも画面の中に入れてもらえませんか」と小声でお願いしたところ、それを聞いた角野さん、さっと指にはめてポーズをとってくださいました。
その素敵な笑顔の写真は本誌でご覧くださいね。
こんなふうにまた巡り合えたアッチのこと、二度と忘れることはないと思います。(編集M)