【岸本葉子さん】バージョンアップし続ける、100年時代の人生の味わい方。
撮影・徳永 彩 文・板倉ミキコ
人生は景色が移り行く旅路。この先の未知な出合いも楽しみ。
岸本葉子さんが人生の後半が始まったと実感したのは、介護の末に両親を相次いで見送ったあたり。
「虚脱感の中にも、肩の荷を下ろしてホッとする感じがありました。そんなふうに一つの時代の終わりを感じるのは、体の無理が利かなくなった時、子どもが結婚した時、定年が視野に入ってきた時など、人それぞれですよね。その頃、誰しも体力の衰えは感じるし、これまでにないミスを多発したり、ネガティブな面はあります。でも、人生後半は終わりに向かっていくだけではない。未知のこともたくさん待ち受けていて、好奇心が湧き、ワクワクする体験もいっぱいできるのだ、と60歳を目の前にした今、私自身が日々の中で感じています」
年を重ねると「私には向かない」と思って受けつけないことが多くなるもの。
「でも、いざやってみると意外に楽しかったり、予想外の展開もあるんです。私にとってはズンバとの出合いがそう。ラテン系のダンスエクササイズなんですが、以前から私を知っている人は、ズンバがどういうものかわかると心底驚きます。リズム感ゼロで、若い頃はダンスなんて遊び人のすること、と決めつけていた堅物でしたから(笑)」
そんな岸本さんが1年ほど前、ジムの筋トレマシンに飽きていた頃、たまたまレッスンに参加してその楽しさに開眼。
「リズムに合わせてひたすら体を動かす快感、頭が空っぽになる心地よさを味わい、もしかして私はダンスが好きだったのかも、と思えるほどハマりました」
ズンバに合わせたウエアも、これまでの人生では着たことのない大胆さ。
「背中をパックリと出して、ショッキングピンクのブラトップをつけて踊っているなんて、40代の私が見たら卒倒するかも(笑)。でも新しいファッションを身につけると、新たな自分を見つけられます。60代、70代になった私も、今の想像を超えているかもしれませんね」
ズンバが“動”の楽しみなら、“静”の喜びを味わえるのが俳句。11年前、俳句のテレビ番組出演がきっかけで、知人の句会に参加して以来、趣味となった。
「俳句は言葉の広がり、可能性を心から楽しめます。作り手が自由な発想で詠みますが、受け取り手も自由に解釈して楽しむものなんです。以前、外国の要人の葬儀の映像を見て、その様子を詠んだ『息白くして葬列の外にゐる』という句を披露したんです。すると、ある人が『深い〜。不倫の句ね』と評してくださって。確かに、不倫だと葬儀の場には入れず外から様子を窺い、泣きそうで息が荒くなり、冬場は白い息がたくさん漏れる……。なるほど〜と。そこを『いえ、私はそんな意図で詠んだんじゃないんですよ』としないのが俳句の解釈の自由さ。また、句会では句を書いて提出し、好きなものを選び合うんですが、そこには自分の名前を書かないんです。だから、誰の句だからどうという忖度がない。日頃社会で囚われている属性から放たれ、自由になれる場なんです。私は枠組みをしっかりしなきゃ、その場で任された役割は全うしなきゃと思いがちな性格なので、制約から解き放たれる時間が持てる俳句はとても貴重です」
40代後半、そして50代後半にそれぞれ出合った趣味は、これから先も続けていきたい人生を楽しむ二本の柱だ。
「仕事で書きたいことはたくさんあるし、ズンバと俳句の時間も増やしたいので、日々120パーセントの力で頑張ってしまいます。時間貧乏というか、毎日細かく逆算してスケジュールを立てるんです。もちろん、体が基本ですから、睡眠時間と食事の時間はしっかり取っていますが、ぼーっとする時間がないという感じに過ごしていますね」
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