パンとクラフトビールの店、鳥取『タルマーリー』の発酵をめぐる終わりなき冒険。
撮影・三東サイ
僕らのパンは生きものなので。獲れたての魚を扱っている感じです。
冬の朝は明けるのが遅い。朝4時、まだ空には満天の星。タルマーリーの工房に灯りがついた。
現在はビールの醸造に専念している格さんに代わり、パン製造チーフは境晋太郎さん。もとは北九州でクライミングのインストラクターをしていた。妻と2人での美味しいパン巡りを趣味にしていたが、格さんの著書に出合い、感銘を受けた。タルマーリーのパンを初めて食べたときの印象を鮮やかに憶えている。
「『な、なんじゃこりゃあー!?』と。それまで食べたパンと全く違っていました」。ここで働くしかない。妻を説得し、移転したての智頭に来た。
今、生地づくりのほとんどを境さんが担当する。生地づくり(ミキシング)は通常のパンなら20分程度。タルマーリーではその数倍の時間をかける。生地によっては1時間半を超え、その間ずっとつきっきりだ。どうしてそんなに手間をかけるの?
「うちでは地元産の小麦を使いますが、海外産に比べてグルテン(小麦タンパク)が少し弱い。ふっくらしたパンにするにはグルテンの粘りを充分に引き出す必要があり、生地の様子を見ながら少しずつ水を加えて練る。毎回、菌や粉の状態でタイミングも量も違う。イーストと輸入の粉ならこの手間は不要だけど、それだと面白くないと思う」。境さんは言う。
「うちのパンは生きもの。獲れたての魚を扱っているのと同じです」
窯に入れるその瞬間まで発酵を続ける元気なパン。
粉も菌も、毎日違う。 だから生地づくりも毎回変わる。
野生の酵母の生命力が人間を助けてくれた。
いまタルマーリーでは、パンのミキシングは週に1度。パン生地は通常毎日、焼く前日の夜につくる場合が多く、丁寧なパンづくりを目指すほどつくる人の負担になる。事実、岡山の店を閉めた頃は、疲弊したスタッフが次々に辞めた。
「あの時が一番つらかった」と麻里子さんは振り返る。
良い発酵には人の幸せが大切だと気づいた格さんは、智頭で菌とヒトの幸福の共存を課題に据えた。生地を冷蔵庫に保管し何日まで菌がもつか試したところ、タルマーリーの野生酵母なら、1週間保存しても遜色ないパンが焼けると分かった。
「普通の酵母は温度変化に弱く、1日以上はもちません。でもうちの野生酵母は想像以上に生命力が強かった。雑多な菌が互いに支え合い、生き延びているのでしょう」(格さん)
以降タルマーリーのパンは、質を変えないまま、人にも優しくなった。
これからのタルマーリーと智頭の未来について、麻里子さんは言う。
「この環境を守るためには、まず町の人が素晴らしさを分からないと。知らないものは守れない。それには外から人を呼ぶ必要があると思う」
その思いを体現するものとして、タルマーリーの隣の元小学校を改装して、麻里子さんら地元事業者が経営する宿と銭湯が今年開業予定だ。
「菌だけでなく人間も、きれいな空気を吸って生きるほうがいいし」
そして格さんは、
「うちで働く若い人が町に定着してほしい。それには町の中に、皆で集まって楽しめる場所が必要だと思う」
ということで今年の春、智頭駅の近くに宿泊施設付きのタルマーリーの2号店ができる。広いカフェは、大スクリーンで映画を見られるイベントスペースも兼ねる。
「菌のための場はつくった。あとは人の場をつくるのが私たちの課題です」
ビール醸造とパンづくりはきれいな循環を生む。
菌の集まる場はつくった。これからの課題は人の場を整えること。
タルマーリー
鳥取県八頭郡智頭町大背214・1
TEL.0858・71・0106
営業時間:11時〜17時(カフェは平日15時、休日16時L.O.。ピザはその1時間前)火・水曜休
https://www.talmary.com
通販可。
『クロワッサン』1061号より