『猫沢家の一族』著者、猫沢エミさんインタビュー。「親を看取ってパリに来たのに、ここ猫沢家だ!って」
撮影・中村ナリコ 文・遠藤 薫(編集部)
「親を看取ってパリに来たのに、ここ猫沢家だ!って」
猫沢エミさんは1996年にミュージシャンとしてメジャーデビュー。TVの音楽番組やファッション誌で活躍していたが、2002年にパリに渡った。
「音楽活動で余計なものをいっぱいぶら下げてたのを切り捨てたい気持ちがあって。若い頃から一回日本を出なくてはと思っていました」
当時、多くの人にこう言われた。
「『せっかくデビューできたのに何で?』。でも簡単な道と、面白そうだけど相当大変な道とが2つあったら自分は絶対後者を選んじゃう。それが生い立ちから来てるのか性分かわからないですけど、自分が猫沢家の一員だなと感じますね」
実家である猫沢家は福島県白河市で三代続いた裕福な呉服店。それを構成する家族がきわめて個性的だった。本書は猫沢さんが初めて家族について綴ったエッセイだ。
何度も風呂にガスを充満させて爆発させる芸術家気質の祖父。店を切り盛りする祖母は何度正しても孫娘の名前を覚えない。バイク好きの趣味人で遊び人の父。堅実な家庭で育ちながら婚家の環境のなかで金銭感覚を失い、子どもに借金を申し込む母。そんな大人に振り回される猫沢さんと弟たち。
「7、8歳の頃から親に潰されてはいけない、早く自立してまっとうな人生を歩こうと思っていました」
祖父は得意の書がひらめいたと夜中に文具店主を叩き起こす。父は突然家に愛人を連れてくる。エピソードの振り幅の大きさに、可笑しいけれど、笑っていいの?と時に困惑する。しかしいつも猫沢家の人々は笑っている。だからこちらも、きっと笑っていいんだ……な。
個性はあって当然のもの。パリでも、猫沢家でも。
昨年、定住を目的に再びパリ生活をスタートさせた猫沢さん。直前には両親を相次いで見送った(この看取りにまつわるエピソードも圧巻だ)。そして新居であるパリのアパルトマンで、ハタと気づく。
〈私が暮らすパリの街全体が猫沢家の家庭環境と似ているのだ。〉
不条理に満ち、予定は常に未定で予測不能。不便なこともあるが、「パリでの暮らしは、個人一人一人が生まれたままのキャラクターで存在することに対して、皆が寛容。モラルも違う。自分が私である輪郭をすごく体感できるんです」
その生き方が、家長や親の役割より個人の気持ちを優先して生きた、祖父や両親と重なるという。
「例えば急に泣き出したりとか、歌い出したり踊り出したりする人がいる。何で?って聞いても『理由なんかいるの?踊りたかったんだよ』。そういうの日本だとちょっとギョッとしちゃうと思うんだけど、私には何の驚きもない(笑)。温かく放置したり、その人の領域に入らないようにサポートしたりがフランス人のあり方で、まさに、なんか、ウチじゃん!みたいな」
〈いっぱしのアーティストになれたのは、おじいちゃんをはじめ、変人先生たちのおかげなんだから。〉とは、本書の中にもある母の言葉。
「料理が得意になったのも、からきしダメだった母のおかげ(笑)」
『クロワッサン』1108号より