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【木皿 泉こと 和泉 務さん × 妻鹿年季子さん】世話をするから大事になる、手放したくなくなるんです。【前編】

  • 撮影・青木和義

「愛は育てるもんだよ」って、キザな言葉だけど、納得した。

そんな二人の出会いは、1988年。会社員として働くかたわらシナリオ学校に通っていた年季子さんが、NHK大阪のラジオドラマコンクールで賞を取り、その作品収録後の打ち上げ会場でのことだった。
「その頃トムちゃんは既に放送作家として活躍していて、名前は知ってました。才能があってすごくとんがってる人だって聞いてたのに、実際に会ってみたら、丸い!って。体も手も性格も。ソフトな人でびっくりしました」

年季子さんの受賞作品を読んでいた務さんは、初対面で声をかけた。
「一緒に漫画の原作やれへん?ってな」(務さん)
「急に親しげにね。結局その漫画原作はやらなかったんだけど、それからもNHKとかで偶然会ってるうちに、長電話したりするような関係になっていったんだよね」(年季子さん)

いつも深夜や明け方まで及んだ電話で、印象に残っている会話がある。
「『私、愛はないと思う!』ってトキちゃんが言ったんやったな」
「そうそう(笑)。ドラマを作ってるNHK職員の人たちとの飲み会で、いい年したおじさんたちが愛について語り合うのを見て、『この世に愛なんてないですよ、そんなものは妄想ですから』って言ったの。そしたら『ドラマを書く先生がなんてことを!』って騒がれて。両親のこともあったし、私はあの頃まで愛の風景を見たことがなかったんだと思う。それを話したら、トムちゃんが私に言ったんだよね」
「『確かに、愛はない。愛は育てるもんだよ』ってな」(務さん)
「なんてキザな人だろうって思いつつ、妙に納得した」と年季子さん。その頃から、務さんは当時大阪で一人暮らしをしていた年季子さんの家に頻繁に通うようになった。
「最初は一緒に仕事するために家に来てたんですよ。『やっぱり猫が好き』っていうシチュエーションコメディーを書いてた時で。もともとトムちゃんのペンネームだった木皿泉名義で書いた回も、妻鹿年季子の名前で書いた回も、実際はほぼ二人で書いてたよね。お互い自分の書いてるものに手を入れられるのが全然平気だったから」
「一人で書いてると、自分の書いてるもんに飽きてくるんだな。“だれ場”が苦しくなってくる」(務さん)
「人の手が入ると展開が生まれて面白くなるんだよね。当時から、話の枠は私が作って、トムちゃんがギャグとか中身を考えるって感じだった」

当時を振り返って、「とにかくいろんなことを喋ったよね」と二人は言う。
「出会った最初の1カ月で、普通の夫婦の一生分は話したんじゃないかってくらい」(年季子さん)
「今も昔も、話題はほとんどギャグと料理、本、あとは人の悪口ですね。昔、司馬遼太郎が亡くなった後の奥さんへのインタビューで、夫が生き返ったら何を話したいかって聞いたら、『一緒に人の悪口を言いたい』って答えたんやった。彼が死んだ後の歴史の話でもなんでもなく、悪口って。夫婦の会話なんてそんなもんですよ。でも、悪口を言い合えるっていうのは案外深い結びつきなのかもしれません」(務さん)

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