『百人一首という感情』著者、最果タヒさんインタビュー。「当時生きていた人を、目の前に感じました」
「百人一首を詩の言葉で訳してほしい」と依頼された、詩人である最果タヒさん。2017年、“現代語訳にして新作詩”というかたちで結実したのが、前作『千年後の百人一首』だ。その時まで、和歌というものは“文節ごとに区切って、現代語に言葉を変換していき、時代背景と比べながら意味を考え、直訳して”楽しむものだという意識があったという。それが、改めて向き合ってみて、変わった。
撮影・黒川ひろみ
「読んでいくと今でも共感できる気持ちがあるのが、最初はうれしかったんです。けれど、だんだんと『わかる、そんな気持ちになったことある』だけではなく、私はそこまで怒ったことないけど、そういう感情を抱いた人が存在していたんだという実感が湧いてくることが何度もありました」
単純に自分と同じものを見つけていくのではなくて、当時生きていた人を確かに目の前に感じるようになって、おもしろさが増した。
「そうすると、今度はその人に突っ込みを入れたくなって。詠み手に対して疑問を抱いたり、逆に『わかるよー』とか『すてき!』と思ったり。今回のエッセイは、そんな気持ちで書くようにしていました。読んだ人も、千年飛び越えてその人に会う、みたいな感覚になったらいいなと思って」
言葉のとおり、描かれているのは、和歌を通して立ち上る人間たちだ。悲しみや苦しみといった感情であったり、透けて見える人となりであったり。それが“詩としての和歌”本来の姿なのだろう。
歌が生まれたその瞬間の、 詠み手の気持ちまで遡る。
たとえば、かの有名な小野小町の歌――花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに――。
「花の色は桜の花と容貌とを掛けていて、直訳すると、桜の花びらがあっという間に色あせてしまったし私の美貌も衰えてしまった、と並列になる。でも、改めて歌だけを見ると、この2つの意味は同時に重ねて描かれているんです。桜を眺めて色が落ちてしまったなと思いながら自分のことも考えている感覚が、元の歌には生々しく残されていて。景色を見ながら自分のことも考えてしまって、どちらを考えていたのかわからなくなるような。小町の目を通して見る景色に自身の存在が混ざり込んでしまっている、そんな歌なのかと」
単純に古文を現代語に変換するのではなく、歌が生まれた瞬間の詠み手の気持ちにまで遡る。訳すのはそれから、と決めて臨んだ。
「実際に存在していた人の気持ちに寄り添って書くことはこれまでなかったので、おもしろい経験でした。千年前の人たちの感覚に向き合う作業でしたが、普通にリアルで生々しかったし、その人自身の痕跡みたいなものがすごく残っている感じが不思議でした」
百人に会う感覚で読んでもらえたらうれしい、と最果さん。歌の詠み手として確実に存在していた千年前の人々と触れ合える、そんな驚きと発見がここにはある。
『クロワッサン』991号より
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