くらし

折に触れページをめくりたい、童心に戻れる美しい絵本。

遠い外国の風景も、中世のお姫さまの振る舞いも、教えてくれたのは絵本でした。誰かのひざの上でページを繰った懐かしい記憶とともに愉しんで。
  • 撮影・岩本慶三 文・一澤ひらり

筆を持っていると無心になれる。絵を描くのがただ楽しいんです。 絵本作家 安野光雅さん

絵本作家 安野光雅さん。写真手前は『旅の絵本Ⅸ』の原画。

絵を描いてさえいれば機嫌がいい。まさに画家こそ天職の安野光雅さん。
「子どもの頃から絵を描くのが好きで、絵描き屋さんという職業があるのかどうか知らなかったけれど、ずっと絵を描いて暮らしたいと思っていました」

92歳を迎えて創作意欲ますます旺盛な安野さん。今年もすでに4冊の本を上梓、その中の1冊が『旅の絵本Ⅸ』だ。41年前に『旅の絵本』が刊行されてから、シリーズ9作目となる。
「今回はスイス編です。イタリアのミラノから中古のクルマでジグザグの山道を通ってスイスに入ったんです。この絵はそこで出合ったグラン・サン・ベルナール峠。サンベルナールは英語でセントバーナード、あの名救助犬の生まれ故郷なんです。ほら、犬たちが元気に走り回っているでしょ」

今年刊行された『旅の絵本Ⅸ』(福音館書店)。シリーズ9作目で今回はスイス編。 1年半をかけて描かれた。

パノラマのように広がる風景、街や人の暮らしなど、淡い色調の水彩画で詩情豊かに描き続けてきた安野さんの「旅の絵本」シリーズ。
「構想なんてないんですよ。白い紙の上に長い道をまず描くんです。道に川が流れていれば橋がある。橋があれば、その先に広場があって教会もある。街のにぎわいや人の暮らしもある。村から村の間には林や森がある。そうやって物語を紡ぐように描いていくんです。人が暮らす風景の中には1000も2000も物語が詰まっている。そういう山ほど話が潜んでいる絵本にしたいと思って、描くようになったのが『旅の絵本』だったんです」

絵本とはいっても文字は綴られない。当初、文章がないから何を言いたいのかよくわからないと、評論家に指摘されたこともあったという。
「でも絵には説明なんていらないでしょう。言葉で理解するのではなく、どう感じるかが大切なんです。本来、絵とは言葉にならないことや気持ちを伝えるものですからね。それに、初めは何もかもが違うと思っていた外国なのに、描いていると人の営み、喜びや悲しみは国も民族も関係なく皆同じだとわかってきたんです。地球の上で人びとがそれぞれの場所で同じ日々を送っている。感慨深いものがありますよね」

見るたびに新しい発見がある、言葉のない美しい『旅の絵本』。安野さん自らが自動車を運転して、各地を巡って描き続けてきた「旅の絵本」シリーズ。これは1977年に刊行された第1作で、舞台は中部ヨーロッパ(福音館書店)。

緻密に描き込まれた絵をじっくりと眺め、風景に見入っていると、その世界に入り込んで旅をしている気持ちになれるのが『旅の絵本』。風景画の一枚一枚にはその国の、その土地ならではの自然や風土、空気感が繊細に描き込まれている。しかも発見する喜びがある。絵の中に彼の地にゆかりのある芸術家、名画、建築物など、いろいろな歴史や暮らしぶりが忍ばせてあるのだ。
「それは私の遊び心、楽しみなんです。ただ1作目で囚人が窓から脱獄しているところを描いたら、彼の逃亡先を本の中で徹底的に探した人たちがいて、彼はどこに行ったのかって聞かれたんですよ。実はそこまで描いてなかった(笑)。反省して、デンマークまで逃げて捕まったと6作目のデンマーク編で描き加えたんです」

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