読者の目の高さの作品世界、直接語りかける「あとがき」が名物
かつて私たちの胸を甘酸っぱさで満たしてくれた少女小説。いわゆる恋バナだけでなく、登場人物の悩みやとまどいに共感を抱いたり、女どうしの友情の良さを味わったり、女子限定の花園のように多くの読者を魅了してきた。
10代少女向けの小説そのものは明治の時代からあり、文学ジャンルとしての歴史は長い。かつての良妻賢母を規範とした内容から、戦後に学校の共学化が進み、男女交際がテーマの中心になっていく。若い性愛を描いたいわゆる「体験記もの」がセンセーショナルな人気を博したり、また、のちに大家となるような作家の多くが「ジュニア小説」の分野を通過した。
そして最大の黄金期は1976年に創刊された『コバルト文庫』(以下、コバルト)の時代。’77年に氷室冴子が「小説ジュニア青春小説新人賞」の佳作を受賞しデビュー。その後、久美沙織、田中雅美、正本ノンとともに「コバルト四天王」と呼ばれ、少し前に世に出ていた新井素子と合わせて「少女小説ブーム」が決定的になった。
「多い時には月10冊を超える新作が出ていました」
と語るのは、自らもかつてコバルトの編集に携わり、書籍『コバルト文庫40年カタログ コバルト文庫創刊40年公式記録』の編集者、宇田川晶子さん。
「彼女たちが出てくるまで、このジャンルは大人の作家が書く10代向けの本というものでした。でもここにきて『年の近いお姉さんが書く、少女が出てきて少女が読む小説』というスタイルが確立しました」
デビュー当時の新井素子は高校生、氷室冴子は大学生。中でも新井素子の、女の子が一人称でおしゃべりのように語るという当時としては斬新な文体は多くの少女の心をとらえた。
「この頃のコバルト・ノベル大賞の応募作品がどれもこれも新井さん風の文体。そのくらい影響力がありました」
内容も、男女の恋愛一辺倒ではなく、女子校での日常や空想世界など、物語の世界は広がりを見せながら、しかし一貫して少女の目線の高さで書かれ続けた。そしてさらに数年後、コバルトの愛読者でもあった若木未生や桑原水菜が作家としてデビューし、黄金期を引き継いでいく。