くらし

【前編】半農半翻訳者の吉田奈緖子さんの「分かち合いで実現した、 仲間との豊かな暮らし」

普通の節約から始まった自給生活が、仲間との出会いでより豊かなものに。
そのヒントとなった、「贈与経済」とは。
  • 撮影・三東サイ 文・新田草子
料理はすべて、吉田さんと友人たちの手作り。卵の左はキクイモのきんぴら。坂本さんが庭先でとれたもので作った一品。

「車1台がやっと通れる細い道なので、気をつけて来てくださいね」。事前にそう伝えられていたとおりの狭い農道を抜けると、刈り入れの終わった小さな田んぼと、その隣の奥まった場所に立つ趣のある農家が見えてきた。千葉県のほぼ南端、南房総市。12月初旬の暖かな陽の当たる前庭で、吉田奈緖子さんが出迎えてくれた。吉田さんは12年前に夫とともにこの南房総に移り住み、翻訳業のかたわら、地域の友人たちと交流しながら田んぼや畑を耕す〝半農半翻訳〟の暮らしを送っている。

この日はちょうど、友人たちとのごはん会。集まっていたのは、吉田さんの田んぼの〝師匠〟である志村洋子さん、鶏卵農家を営む渡邊明子さん、舞台の美術やアート作品を作っている坂本真彩さん。日頃から野菜や米作りに関する情報を交換したり、イベントがあれば一緒に手伝いに行ったりする、気の置けない仲間たちだ。
テーブルに、次々と手作り料理が並べられていく。いただきもののカリフラワーで作ったピクルスに、庭先でとれたキクイモのきんぴら。メインは吉田さんの田んぼでとれた玄米ご飯と、野菜たっぷりのカレー。産みたての卵もあるから、豪華に生卵のせにもできる。米粉入りのパンと、デザートにはきんかんのパウンドケーキまで。なんておいしそう……と見とれていると、「こちらではさほど珍しくないけれど」と、吉田さん。「贅沢ですよね。昔の自分には想像もできないことでした」

思い描いた「作って、食べる」を 実現できる、理想の地に巡り合う。

農的な暮らしに吉田さんが目を向け始めたのは、20年以上前、東京の書店で働く20代の頃だった。
「仕事自体は好きでしたが、満員電車での通勤が本当に苦痛で。でも、生活費を稼ぐためには我慢しなければならない。あるとき、ふと思ったんです。こんな思いをして給料を持ち帰って、それで必要なものを買いに行く。ずいぶんまわりくどい方法だなあ、って。いっそ、同じ時間と労力を、自分に必要なものを作るのに割り振ったほうが早いんじゃないか、と」
もともと既製服が身体に合わず、普段着を縫ったりしていた。実家を出て料理の楽しさにも目覚める。結婚して住んだ神奈川・藤沢では家庭菜園を始めた。やがてフリーの翻訳者となり、数年後、さらなる「作れる」環境を求めて南房総へ。さしあたり野菜の自給率向上を目指すつもりだったが、農的生活の体験の場「三芳自然塾」(現在は閉塾)を通じて出会った人々に導かれて米作りにも挑戦。移住4年目で、自分たちの田んぼを耕すようになる。
「1年では食べきれないほどの、それも最高においしいお米がとれる。これもまわりの人たちのおかげ。こちらに来なければ味わえなかった幸せです」
3回の引っ越しを経て理想の家にも出合え、ここを終の棲家と決めた。

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