考察『豊臣兄弟!』40話 大地震が変えた運命。豊臣&徳川の和睦のため、涙を呑む夫婦と家臣。
文・ぬえ イラスト・南天 編集・小池貴彦
迫田孝也の演技が光る
愛想尽かし。
相手のためを思い、心ならずも冷たい態度で突き放し別れを切り出す。歌舞伎や浄瑠璃に見られる演技・演出である。
『豊臣兄弟!』40話は、この愛想尽かしの他にも往年の時代劇的演出を取り込み、豊臣兄弟の妹・あさひ(倉沢杏菜)と、その夫・副田吉成(前原瑞樹)の別れを描く。
いや、それだけではない。もう一組の別れもある。
天正13年(1585年)11月の、石川数正(迫田孝也)の出奔だ。
徳川家康(松下洸平)の側近である数正が突如、家康の下を離れて豊臣家に仕えたいと、大坂城に駆け込んできた。
幼い頃から傍にいた数正が寝返ったことを知り、自我が崩壊したように笑い転げる家康。
松下洸平の演技が凄絶だが、その後の回想場面での、迫田孝也の演技もまた出色である。
どうあっても豊臣と戦うとの決心を述べる家康の背を見つめる数正の表情に、別れの決意と悲しみが詰まっているのだ。
ごく軽い調子で、今宵は殿と一献酌み交わしたいと持ち掛ける数正の目に、ほんのわずかに涙が光る。
家康に残した置き手紙には、数正の本意が綴られていた。
三方ヶ原合戦大敗の直後(17話/記事はこちら)の約束を果たすためだという。
家康「(この大敗を)お前はけして忘れるでない。この先、儂が同じ失態を繰り返さぬよう睨みをきかせ、諫めてくれ」
数正「かしこまりました!」
歴史上、石川数正の出奔理由は定かではない。
本作では、徳川が勝てぬ戦に踏み出すのを止めるために、数正は心ならずも家康の元を離れる。
徳川の軍略も軍備も知り尽くしている自分が豊臣方に加われば、戦はまずできないだろうと判断したのだ。
軍備軍略のみならず、置き手紙を読む家康がどんな仕草をするかまで見越して、数正はこう書き添えた。
「それから、殿。爪を噛むのはおやめくだされ」
ここまでわかっている自分が家康の下を離れたら痛手のはずという自負と、ここまで深く家康を理解し支えてきた年月を手放す痛み。
そのどちらもが、迫田孝也の芝居から伝わる。
この40話まで、松下洸平と迫田孝也が演じる徳川主従に魅了されてきただけに、この出奔は視聴者としても残念でならない。
だが、数正の思惑は外れる。
家康は豊臣への恭順を拒み、北条との連携を強めて戦支度を進めたのだ。
小一郎秀長(仲野太賀)は数正の思いを汲み、戦を止めようとするが、秀吉(池松壮亮)は天下一統のため、徳川・北条征伐に踏み切る。
豊臣方が軍を整え、今まさに出陣というその時、思わぬ事態が襲った。
運命を分けた震災
天正13年11月29日。
天正大地震が発災。
被害は日本海沿岸から太平洋沿岸にまで及んだ。
越中国木舟城(現・富山県高岡市)が倒壊し、前田利家(ドラマでは大東駿介)の弟・前田秀継夫婦と多くの家臣が死んだ。
飛騨国帰雲城(現・岐阜県大野郡白川村)では城と城下町全てが山崩れにより埋没。
一夜にして城主内ケ島一族が滅亡し、城下町でも多くの犠牲者が出たという。
美濃国大垣城(現・岐阜県大垣市)は全壊焼失。
織田信雄(山脇辰哉)の居城である、伊勢国長島城(現・三重県桑名市)が倒壊。
かつて羽柴の拠点であった長浜城(現・滋賀県長浜市)が壊滅し、この前年から城主であった山内一豊の唯一の息女・与祢が6歳で命を落としている。
山内一豊夫婦が主人公の大河ドラマ『功名が辻』(2006年)で描かれた天正地震の場面、我が子を失った千代(仲間由紀恵)の嘆きは哀切の極みだった。
正確な規模は不明だが、各地に甚大な被害をもたらした巨大地震であった。
大坂城も酷い被害を受けたが、豊臣兄弟の家族は全員無事だ。
あさひに里芋を食べさせてもらう副田吉成は
「うまいのう! これが一番じゃ」
お互いに生きていることを喜びあう。
一方、関白秀吉はそうはいかない。
地震によって出兵の目算が狂い、天に見放されたように感じているのだ。
家康について、こう漏らす。
「(家康は)まるで信長公のようじゃ。けっして諦めず、なすべきことをなした者に天は味方する」
秀長は兄を力づけながらも、戦を回避する道を示す。
「儂らはまだ生きておるではないか。儂らは生かされたのじゃ。すなわち、共に力を合わせよと天に命じられたのじゃ」
弟に励まされて立ち上がった秀吉は、兵糧を民に分け与え、徳川との和睦を決めた。
天下人としてまずなすべきは、人々の暮らしを守ることなのだ。
関白としての命
和睦交渉役となったのは、織田信雄である。
徳川からの条件を持って、豊臣兄弟を訪ねてきた。
「どなたか、お身内の方を妻として迎え入れたいと」
徳川は於義伊(立花利仁)を養子という名目で差し出しているので、豊臣も同じく人質として、身内を出せということだ。
──あさひしかおらぬ。
兄弟の苦渋の決断であった。
あさひの輿入れは、過去の大河ドラマでも幾度も描かれてきた。
豊臣一家が動揺し、秀吉、秀長兄弟の非情な決断を責める展開は多々ある。
『おんな太閤記』(1981年)では、激昂した大政所(赤木春江)が秀吉(西田敏行)に、「打ち殺す!」と殴りかかる激しい場面もあった。
本作の豊臣一家が、絶句しつつも比較的静かに受け入れたのは、豊臣秀次(山田涼介)の存在が大きい。
秀次は、幼い頃に人質として両親から引き離された立場から語る。
「そのおかげで今の豊臣があるなら、それは私の誇りとするところ」
人質経験者、しかも自分の息子に言われては、とも(宮澤エマ)も長尾吉房(上川周作)も二の句が継げぬ。
百姓出身の一家の中で、誰よりも武家の論理を理解しているのが秀次なのだ。
だが、当事者であるあさひと副田吉成はそうはいかない。
秀吉の懇願と説得を夫婦揃って強く拒否するが、ついには関白として命じられてしまった。
「副田吉成に、あさひと離縁の上、但馬国に転封を命じる。断るならば厳罰に処す」
愕然とするあさひ夫婦。
夫婦ふたりきりとなった後、命令を受け入れるつもりはないと妻を安心させようとする吉成だが、考えこむあさひの横顔を見て、妻の胸の内を察してしまう。
「それで十分なのに」
あさひ夫婦が逃げようとして秀長の手勢に取り囲まれる場面。
そこがまさに、冒頭で述べた「愛想尽かし」である。
副田吉成は、あさひが秀長に密告したのだろうと妻を責める。
「まことは家康に嫁ぎたかったのではないか?」
「お前などこっちからお断りじゃ、離縁してくれるわ!」
だが、夫婦を引き離して吉成と対峙した豊臣兄弟は、吉成の真意を見抜く。
密告者は、吉成自身。
なぜ自ら逃亡を密告し、あさひにあれほどひどい言葉を投げつけたのか。
吉成は、あさひが長年抱えてきた苦しみを語る。
子ができず、戦にも出られず、字も銭勘定も不得手。自分は何の役にも立てないと悩み、せめて笑って周囲を明るくしようとしてきたのだという。
「それで十分なのに」
吉成にとっては、あさひが笑っていてくれるだけで十分だった。しかし、あさひ自身はもっと役に立ちたいと願っていた。その思いを知っているからこそ、吉成は妻を引き留めることができなかったのだ。
「藤吉郎殿。小一郎殿。あさひを……まこと、豊臣の天下を支える一人にしてやってくだされ」
そして、自らは出家すると告げる。妻との暮らしを失っても、共に過ごした日々までは失われない。あさひの願いを理解し、自らの思いを振り切った吉成に、
「副田甚兵衛尉吉成。大儀!」
秀吉は関白として、最大の感謝を捧げるのだった。
古典の名場面のオマージュ!
秀長はあさひに、副田甚兵衛吉成は秀吉の逆鱗に触れて追放されたと告げる。
家康のもとに輿入れするなら、この庭も見納めだから眺めてみたらどうかと誘う秀長。
桔梗が咲き乱れる庭に、夫、吉成が隠れていると気づくあさひ。
『忠臣蔵』で見たやつ! となった。
往年の映画やテレビ時代劇で、繰り返し描かれてきた名場面である。
切腹に向かう浅野内匠頭に、先導する幕府目付・多門伝八郎が「ごらんなされ。春を名残りの桜でござる」と声をかけ、庭の桜に目を向けさせる。
その桜の下には、主君最期の姿を見届けようとする、浅野家家臣・片岡源五右衛門が!
主従が言葉を交わすことは許されない。
涙にむせぶ片岡源五右衛門に、浅野内匠頭は、片岡には直接語りかけず、己の心を語るのであった──というもの。
あさひが秀長に語りかける体(てい)で夫に別れを告げるこの場面は『忠臣蔵』の名場面のオマージュではないだろうか。
40話は、古典作品の演出を随所に忍ばせた、時代劇好きにはたまらない回でもあった。
あさひは、笑顔で言う。
「私も私にしかできないことを、存分にやってみようと思う。そう思えたのは、あんたのおかげだって」
「『いってきます!』そう伝えて」
これが、夫婦の今生の別れとなった。
副田吉成は、あさひと離縁したのち、出家して生まれ故郷の尾張国に帰り、そこで生涯を閉じたと伝わる。
桔梗の花言葉は
翌、天正14年5月。
あさひは徳川家に輿入れした。
「よう参られた。これからは、ここがあなたの住まいじゃ」
「ここ浜松には、うまいものがたんとございまする」
家康の口調が、思ったよりもずっと柔らかいのが救いである。
自身がつらい人質時代を経験したゆえだろうか。
無理難題を豊臣につきつけたものの、実際に犠牲となった女人を前にして、憐憫の情が湧いたものか。
「まず里芋をいただきたい」と言うあさひ、素朴な要望に面食らう家康。
家康「ただの里芋でござるか?」
あさひ「はい。ただの里芋が一番じゃ」
里芋をほおばって「これが一番じゃ」と笑った夫。
あの幸せな思い出を胸に、あさひはこれから生きてゆくのだろう。
甚兵衛との別れの庭にも、輿入れしてきたあさひが歩む浜松城の廊下の外にも、桔梗の花が咲いている。
季節外れの桔梗は、あさひの心の中に咲く花のようにも見えた。
──桔梗の花言葉は、「永遠の愛」。
次週予告。
徳川家康、上洛!
秀吉に頭を下げるか下げないか、ここまで長い道のりでしたねえ……。
千宗易(吉岡秀隆)、皆が良く知る千利休スタイルになっている!
ちなみに「利休」の居士号を賜ったのは、石川数正が出奔する一か月前、天正13年10月のこと。
「家康の野望」、ついに豊臣兄弟と家康が直接渡り合う!
41話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
公式サイト
【作】八津弘幸
【音楽】木村秀彬
【語り】安藤サクラ
【出演】仲野太賀、池松壮亮、吉岡里帆、浜辺美波、坂井真紀、宮澤エマ、大東駿介、松下洸平、山田涼介、井上和 ほか
【時代考証】黒田基樹、柴 裕之
【制作統括】松川博敬、堀内裕介
【プロデューサー】高橋優香子、舟橋哲男、吉岡和彦(展開・プロモーション)、国友 茜(広報)
【演出】渡邊良雄、渡辺哲也、田中 正
※このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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主な参考文献:
ルイス・フロイス(著)/松田毅一・川崎桃太(翻訳)『完訳フロイス日本史・豊臣秀吉編 合本』中公文庫,1999年
黒田基樹(著)『羽柴秀吉とその一族――秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書, 2025年.
黒田基樹(著)『羽柴秀長とその家臣たちーー秀吉兄弟の天下一統を支えた18人』角川選書,2025年
柴裕之(著)『羽柴秀長――秀吉の天下を支えた弟』角川選書, 2025年.
黒田基樹(著)『羽柴秀長の生涯――秀吉を支えた補佐役の実像』平凡社新書, 2025年.
黒田基樹・柴裕之〔編〕『羽柴秀長文書集』東京堂出版, 2025年.
桑田忠親(著)『豊臣秀吉研究 上・下』角川選書.2025年
河内将芳(編著)『秀吉と豊臣一族研究の最前線』山川出版社,2025年
和田裕弘(著)『豊臣秀長ーー天下人の賢弟の実像』中公新書,2025年
福田千鶴(著)『豊臣家の女たち』岩波書店,2025年
黒田基樹・柴裕之(著)『戦国武将列伝・別巻2 豊臣編』戎光祥出版,2026年