『ゾンビ回収婦』小砂川チト 著──現実と虚構を往来しながら考える、人間の労働
文・斉藤紳士
生きていくためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには就労しなくてはいけない。世の中に職種はいくつもある。公務員、事務、営業、建築、サービス業、エンジニア、清掃業、そしてゾンビ回収。
第175回芥川賞を受賞した小砂川チトの『ゾンビ回収婦』はそんなゾンビ回収を生業としている女性のお話である。といっても、もちろんこの世にゾンビ回収という仕事は存在していない。それどころかゾンビすら存在していない。では、「ゾンビ回収」とは一体どういう仕事なのだろうか?
物語はとある夫婦の元に、双方同時に会社から解雇通告が届く場面から始まる。二人の仕事を奪った相手はAIである。無職になった夫は呑気にも置き手紙を残し、姿をくらましてしまう。ひとり残されたわたしは「この生活のうちのどの部分にわたしのわたし性は宿っていたのだろう」と途方に暮れる。AIの進化が目覚ましい現代。これはどの家庭にも起こり得る現代の社会問題である。夫の部屋へ迷い込んだわたしは、VRヘッドセットを見つける。そして、わたしはこの絶望的な現実から逃亡するようにヘッドセットを装着する。そこでわたしは自分があるホテルのNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)であることを認識する。わたしはそのホテルのたったひとりの掃除婦としてゾンビの身体を回収するようになる。虚構の世界で職を得た主人公は果たして労働の意味を見出せるのだろうか?
大まかなストーリーはこういったところなのだが、この作品には幾つもの仕掛けがある。現実の世界とVR内のゲームの世界、つまり現実と虚構という二拠点を往来する物語の性質上、現代社会における問題点をアイロニカルに浮き彫りにさせることに成功している。我々読者はその鋭くもユーモアのある指摘に出会すたび、ハッとさせられたり、クスッと笑わせられたりする。その最たるものがゲーム内で就労する、という捻れた設定そのものなのだが、主人公はゲーム内で脳にAIを搭載したNPCに憐れみを受けたりする。AIに仕事を奪われたうえに、その身の上をAIに慰められる、というなんとも皮肉な状況に陥るわけである。仮想空間の就労では賃金は発生しない。だからこそ率直な疑問が突き刺さる。ゲーム内で主人公のメンター的な存在であるクマは「仕事とか給金とかいうのは多分、人類の編み出した最大の照れ隠しなのでは?」と問いかける。人間は機械ではない、ましてやAIなどでは断じてない、という作者の抵抗が伝わってくる。ゲームの世界のゾンビはただ機械的に存在しているわけではなく、人間的な豊かさを損なってはいない。ゾンビに人間的な豊かさというのもおかしな話だが、その辺りに作者のユーモアが光る。ゲーム内のゾンビには個性があり、「腐りかたにその人の人品骨柄が顕れ」ている。現代社会で生きていくには避けて通れない労働ととっ組み合う現代人を絶妙な距離感とユーモアで純文学作品に昇華した稀有なこの作品を、「誰も褒めてくれない」と嘆くすべての方に読んでほしい。
『クロワッサン』1175号より
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