文学への愛がほとばしる、圧巻の書評集「野の書物」。
文・森山 恵
文学への愛がほとばしる、圧巻の書評集。
文・森山 恵(もりやま・めぐみ)
詩人・翻訳家。訳書にヴァージニア・ウルフ『波〔新訳版〕』(早川書房)、共訳『源氏物語 A・ウェイリー版』(左右社)。詩集に『岬ミサ曲』(思潮社)ほか。
この人はどんな本を読んできたのだろう。どんな映画を見てきたのだろう。
魅力的な人物に出会えば前のめりに知りたくなる。敬愛する書き手の書評集なら嬉々として手を伸ばす。
阿部日奈子さんは、鮮やかな言語の舞踏で現代詩の最前線を煌めかせてきた人。私にとって近くて遠い憧れの詩人である。だから『野の書物』を喜び勇んで開く。
目次の頁をめくって評される本の題名を追う。棚に並ぶ背表紙に指を滑らすようにして。各書評タイトルそのものが詩のようで、眺めているだけでうれしい。
「妄執の伽藍を支える饒舌」「典雅によろめく令夫人」「無為のついたての内側で起こっていること」「愚行からしたたり落ちる光」。想像がうっとり膨らむだろう。
『カフカ全集』『ボヴァリー夫人』『サド侯爵夫人』など有名な古典も登場する一方、フランスの作家マルグリット・デュラスでは少しマイナーな『ヴィオルヌの犯罪』、神西清なら広く知られるチェーホフ翻訳ではなく抒情詩が取り上げられる。本流から少し離れた作品を選ぶ姿勢に、詩人の反骨精神を嗅ぎとる。
実際、目を惹くのは朝鮮詩集、ヴェトナムの焼身僧を追ったノンフィクション、ジェンダー・マイノリティをテーマとした本など、支流とも見なされてきたものだ。多様性が叫ばれる現在ならともかく、1990年代から評してきたその先見に驚く。
また女性作家への傾倒も随所に顕われる。たとえば大原富枝『眠る女』。
「ただ感動するだけの作品ではない。試金石のごとく、ものを書く姿勢を厳しく問う小説」と位置づけ、自分は彼女のような「人間社会への強烈な関心と深い洞察を(中略)生涯にわたって堅持し書き続けることができるのか……」と問う。自らの人生とともにある一書なのだ。
楽しいのは子ども時代の読書体験のくだりである。創元社世界少年少女文学全集に読み耽ったことが記される。小学校で仲良くなった友だちの家で「廊下の突きあたりの本棚に、見たこともない全集が並んで」いたのが出会いという。
「夢中になった私は、返しに行っては次の巻を借りてくるの繰り返しで、とうとう全六十八巻を読み通してしまった」。
1950年代の刊行目録を調べると、第一巻のギリシア神話やイソップ物語に始まり、『ロビンソン・クルーソー』『宝島』『ガリヴァー旅行記』と続いている。古事記、竹取物語の古典や翻訳詩などもたっぷり収録されて重厚だ。これを子ども時代にコンプリートするなんて! なんと早熟。けれど私と同じく冒険小説にも胸躍らす少女だったと思うと、親しみが湧いて文章がぐっと近づいてくる。
収録されているのは小説、詩、現代思想、映画評含め59篇。1992年から30年間にわたる原稿であるから、詩人の半生記とも呼べるだろう。著者は自らの選書を〈多感な自然児の系譜〉と名づける。
知的で硬質な文体の向こうから姿を現すのは、子どものごとく無垢に自由に野に放たれる、文学への熱愛と美意識と信念である。
『クロワッサン』1079号より
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