〈新田恵利の看取りの話 Vol.6〉私の中に生きている──大切な人との別れと、向き合い方
文・新田恵利 編集・クロワッサン編集部
ドラマや映画、書籍の中で、大切な人を亡くした人に「あなたの中に生きている」と、慰めるようにいうセリフがよくありますよね。あれはたくさんの思い出が「あなたの心の中で生きている」という意味だと思っていたんです。でも母を亡くして1年の間に、もうひとつの「私の中に生きている」を感じました。
母が亡くなったのは令和3年3月下旬。この年も暖かい春で桜の開花が早く、満開の時期でした。霊柩車のドライバーの方にほんの少しの遠回りをお願いし、母が大好きだった近所の桜並木、桜のトンネルを通って火葬場へ向かってもらいました。助手席に兄が乗り、最初で最後、母と2人のお花見が出来たと思います。私は何度も母とのお花見を楽しんだので、兄に母との思い出がひとつ増えて良かったと思いました。
母を見送り、残された私たちには普通に生活が続きます。どんなに悲しくても眠たくなりますし、お腹も減ります。そして洗濯物も溜まり、仕事だってそうそう待ってはくれません。世界は動いているのです。置いてきぼりになった心を何とか手繰り寄せ、頑張ります、頑張るしかないのです。
と、ある日のこと、仕事も終わり夕飯を作ろうにも手間のかかる料理を作る元気が湧きません。カレーにしようかな……。メニューを決めかねたままスーパーをウロウロ。ズラっと並ぶカレールーを前に、何気なくいつものルーを手に取りカゴに入れた瞬間、ハッとしました。
このカレールーは母が選んだもの! 祖父母でも父でも姉や兄でもなく、母が選んだもの。母はこのルーを使い、ニンニクの香りを油にうつし、肉を炒め野菜を加え、飴色になるまで炒めた玉ねぎも加える。ルーを入れると同時に、くし切りにした玉ねぎを加えて少し煮込めば出来上がり。進化し続けた母のカレーのレシピを詳しくは教わりませんでした。亡くなってからずっと食べたいのは、母のカレーです。何度も挑戦したけど母の味にはなりません。もう一生、食べられない(泣)。あらら、話が逸れちゃいました。
私の中にはカレールーをはじめ、母が選んだものがたくさん存在しています。醤油、ケチャップ、ソース、マヨネーズ、全てそうです。ちょっぴり甘めの卵焼きが好きなのも母の好み。
母だけじゃありません。おそうめんの食べ方は父の好みが私に残っています。新田家のそうめんのつゆは埼玉の郷土料理「すったて」にとても近い味。有名な宮崎の冷や汁に似ているのですが、魚が入りません。マカロニサラダにリンゴを入れるのも秋になると菊を食するのも、父と母の好みです。私の中に当たり前にあるものが、父や母から受け継いだもの。私の中に「父や母が生きている」と感じたのです。
父が他界したとき、私は芸能界デビューしたばかりの年でした。お仕事と学業で寝る時間もない生活が続き、毎日をクリアするだけで精一杯、心身ともにいっぱいいっぱいで何かを考える、何かを感じる、そんな余裕はありませんでした。
でも母を亡くしてからの1年はたくさんの思い出を噛み締め、いろいろな思いを感じながら過ごしました。初めての春、新玉ねぎを見かければ電子レンジでチンしてゴマドレッシングをかけて食べるのが好きだったな、とか。夏には子どものように両手でマンゴーにかぶりつく無邪気な母を思い出し、秋になればたっぷりのニンニク醤油で戻りガツオを頬張る笑顔が浮かび、年末には年越し蕎麦を食べる横顔が……。お蕎麦が嫌いだった母は「習わしだから」と口にするものの、笑えるくらい少食でした。
新しい季節を迎えるたびによみがえる甘く切ない思い出に、時には笑い、時には涙が溢れる感情の忙しい1年でした。「去年の今頃は……」と思ってしまうのです。母の死をきっかけに改めて父の死を感じ、そして私の中に生きている両親を感じたのです。こじつけかもしれないけど、私がそう感じたのだから、そうなんです(笑)。
大切な命を失ってからの1年。季節がひと通り過ぎるまでの1年はとても辛いけど「時間」が少しずつ悲しみを癒してくれるのは本当のこと。もし最近、大切な命とお別れをした人がいたら泣きたい時は泣いて、たくさん思い出して、そしてひとつずつ季節を乗り越えて下さい。1年後、悲しさは残っていても、苦しさは消えているはずです。さぁ、ゆっくり歩き出して下さいね。
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