【女の新聞 100年を生きる】市毛良枝さん──40歳で出合った山と重ねた35年「山歩きは役者の仕事と似ています」
撮影・福村明弘 文・寺田和代
同じ山でも毎回違うストーリーと感動。山歩きは役者の仕事と似ています
自分の世界を複数持てれば、その数だけ新たな可能性や力が引き出され、人生がより楽しく味わい深いものになる。市毛良枝さんが見つけた世界の一つは40歳で出合った登山だ。きっかけは、父を看取った医師が診療の合間に語ってくれた山の話の楽しさだった。
「登山=死と隣り合わせの危険行為と思っていたのが、お話や口調に滲むワクワク感が心に残って」
医師から初登山に誘われた1カ月後には、チームのメンバーとして北アルプスの燕岳から常念岳に至る縦走コースを歩いていた。
良きリーダーと仲間、さらに天候、人や自然との出合いに恵まれ、山や登山者のイメージが一変した。
「初登山で北アルプス縦走というと驚かれますが、だからよかった。高尾山ハイクだったら一度きりで終わったかも。山小屋の雑魚寝、コップ1杯の水で歯磨き+洗顔といったことがつらいどころか、めくるめく楽しい。都会生活で漠然と疑ってきたことに、たとえば水の無駄遣いや、生活排水に無頓着ではやっぱりダメだと自分の中で決着がついた。芸能人扱いもされず、新鮮な発見が次々押し寄せて息つく暇もなかったです」
その後、山への愛と情熱が一気に開花。のちに師と慕った登山家の故・田部井淳子さんに導かれるようにヒマラヤやキリマンジャロ、南アルプス単独縦走など国内外の山々へ。
「私にとって山の魅力は繊細にゆれ動く自然の姿を味わったり、そこに身をおいて体を動かすからこそ湧き上がる感情や深い感動。同じ山でもそのつど違う気象、景観、ストーリーが待っている。その意味では役者の仕事と似てますね」
山から学んだことは数知れない。
「自分なりで充分ということ。登頂以上に、一歩ごとに時々刻々変化する道行きに醍醐味があるから」
そのことを単独行で実感した。
「単独行はある意味、怖さとの闘い。天候が急変したり道を間違えたりすると神様が帰れって言っているのかなと弱気になるけど、その先で再び良い方向に転じたり。自分なりに状況を次々クリアすることも山の味わいであり、楽しさ」
山に未知の力を引き出され、自分らしくあることを後押しされた。
「体育が苦手で、自分でもドン臭いと思い込んできた私にこんな体力があったことに驚きました。女らしさの鋳型に押し込めてきただけだったんだと。でももうそんなの、かなぐり捨てちゃいました」
登山であれ、何であれ、出合った時が始め時だということも。
「好きだと感じたことはやってみて。そのうちに、と構えていたら人生後半の5年10年なんてあっという間に過ぎてしまうから」
介護のため本格的登山から約20年間離れたのち、69歳の時にニュージーランドで約54キロのロングトレイル(歩く山旅)に参加。この先も心と体のおもむくままに山との関係を深めていくつもりだ。
これから山歩きを始める人への指南はただ一つ。最初は山をよく知る人と行くこと。数人集まって、ガイドさんにお願いするのも手。
「初心者ほどガーッと頑張り過ぎてしまうから。熟練者は最初から最後まで歩き通すリズムを作り、随所で自然の美しさや味わい方を教えてくれます。それが大事です」
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マガジンハウス クロワッサン編集部「女の新聞」係
『クロワッサン』1141号より
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