考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』16話「夢ではない。俺はここにいる。意次はここにおる」牢獄の平賀源内(安田顕)を訪ねたのは田沼意次(渡辺謙)
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
言い争う源内と意次
大河べらぼう16話は、平賀源内(安田顕)が死に至るまでの逸話、現代に伝わるそのほとんど全てを掬い取り、フィクションに組み込み、極上の歴史ミステリーに仕立てた。同時に主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)が己の生きる意味を確信する傑作回である。
17話からの新章開幕を前に、改めてこの16話を振り返ってみよう。
老中首座・松平武元(たけちか/石坂浩二)が急死。将軍世継・徳川家基(奥智哉)の暗殺の鍵を握る手袋が、何者かによって武元のもとから持ち去られたことを知った田沼意次(渡辺謙)は戦慄する。
意次「下手に動けば次は俺。もしくは、上様ということに」
将軍世継と幕府最高職である老中首座を次々と手にかけた黒幕が、他の人間の命を奪うことをためらうはずはない。これ以上の犠牲は避けねばならぬ。
家基と武元謀殺の犯人は意次だという噂が江戸城内外にはびこり、将軍・家治(眞島秀和)から疑いを向けられて、意次は身動きが取れなくなった。
家基の死因について、手袋が怪しいと推理した源内に、意次は「この件は忘れろ」と金を渡す。
「これは口止め料か」と食ってかかり、納得しない平賀源内に、意次は仕方なく、これまで世話になった礼だと述べたが、
源内「こんなもんじゃ足りませんよ。俺が今までどんだけあなた様に知恵をお授けしてきたことか。そのおかげであなた様はご老中。俺は山師どころか、いまやイカサマ師だ!」
意次「しくじったのはお前の力不足だろう!」
この国を発展させる夢をかつて語り合った二人が言い争う様が悲しい。
「こんなはした金で俺の口に戸は立てられませんぜ」
この台詞に滲んだ源内の絶望。平秩東作(へづつとうさく/木村了)から、家基への献上手袋は意次からの発注だった旨を聞いて「そういうことか……」と悟った風の表情。
そうした源内の様子を見て「田沼意次による家基暗殺事件」を筋立て、暴露するつもりかと思った。少なくとも、この時点では。
源内がおかしい
富本豊前太夫(寛一郎)から、源内がおかしくなった、追放された神山検校の屋敷という不吉な家に引っ越したと聞いて、新作執筆依頼がてら様子を見にやってきた蔦重。門をくぐる前から漂う異臭に顔をしかめる。
その臭いの元は、源内が四六時中吸う煙草だった。この屋敷を世話した久五郎(齊藤友暁)と名乗る大工が差し入れる煙草は、源内いわく「めっぽう美味い」らしい。妙にハイテンションな源内に戸惑いつつ、戯作者・福内鬼外として新作、芝居になりそうな物語を書いてほしいと依頼する蔦重に、源内は戯作「死を呼ぶ手袋」のアイデアを語る。
この場にいない平秩東作の「源内さん、手袋ですよ!」の一言の幻聴が現れたり、源内の様子がますますおかしい。
久五郎がせっせと源内に吸わせている煙草は、阿片(阿芙蓉)だろうか。
江戸時代、弘前藩(現在の青森県津軽地方)では阿片の原料として芥子を栽培していた。元禄3年(1689年)の弘前藩庁日記に、薬製造のために採取させたとの記録があるという。「津軽一粒金丹(つがるいちりゅうきんたん)」と名付けられた鎮静剤・強壮剤であるその薬の主成分は阿片。元禄2年(1688年)、備前岡山の池田丹波守輝録に仕える医師が弘前藩の藩医に、中国の医学書をもとに「一粒金丹」の製法を伝え、それ以来弘前藩が管理販売し全国的なブランドとなった。薬の調合は弘前藩内の秘密であったが、阿片は上方では別名「津軽」とも呼称されていたことから、特産物として有名であったと考えられる。
本草学者でもある源内が、蔦重でさえ何かおかしいと気づいた阿片特有の臭いがわからないものだろうかと疑問を抱くが、精神的に不安定なところに、最初は気づかれぬ程度に少しずつ混ぜ込み、徐々に量を増やしていったのだとしたら。計画した者の周到さと悪意に総毛立つ思いだ。
大名屋敷の設計図面制作を注文するという名目で屋敷に出入りする丈右衛門(矢野聖人)は、エレキテルの悪評を持ち出して源内を刺激する。その上、久五郎がさらに薬物煙草を勧めてくる。煙管を吸った途端、激昂が鎮まる代わりに妄想と幻聴に悩まされ、悶え苦しむ源内。
安田顕が演じる、暗く深い淵に落ちてゆくような平賀源内の姿が痛ましい。
意次が、源内をこの世に引き戻した?
源内は何者かの罠にはまり、大工の久五郎殺害の罪を負わされた。
冷え切った牢獄で独り震える源内を、秘かに意次が訪ねてくる。現実と幻覚の狭間を行き来する恐怖と、殺人を犯したのかどうかさえ定かでない己の心に怯え、幼子のように泣く源内。その手を握り、己の頬に触れさせて、
意次「夢ではない。俺はここにいる。意次はここにおる」
手のひらから伝わる意次の頬の温かさだけが、これが現実だと信じさせてくれる。
「乾坤(あめつち)の手をちぢめたる氷かな」
(天地の冷たさに思わず手を縮めた)
辞世と伝わるこの句だが、実際には今に残っている平賀源内の作品の中で最後の句というだけで、彼が辞世として──死を見据えて詠んだものなのかは不明なのだ。それを踏まえ、ドラマのこの場面を見てみる。
句が詠めるということは、正気に戻ったということだ。加えて、狂気に憑りつかれて泣き笑いした時とは全く違う笑いを漏らしたあと、何かを考える表情をする安田顕の芝居。「俺はここにいる」と語りかけた意次が、源内をこの世に引き戻したのだろうか。少なくともこの場面では、源内は人生を諦めて死を覚悟したのではない、むしろ生きる力を取り戻したように見える。
そのとき牢の外に置かれた、一杯の熱い白湯。これも意次からの心づくしと思ったのか、源内は椀に手を伸ばした。
「忘八……この忘八が!」
殺害現場に残されていた一枚の新作の草稿を意次に奉じて、蔦重は須原屋市兵衛(里見浩太朗)、杉田玄白(山中聡)、平秩東作と共に再捜査を願い出た。
意次は、その一枚きりの草稿から、源内の真意とこれだけが現場に残っていた意味を悟った。草稿を急いで懐にしまい込み、「源内は救えない」と蔦重らに告げる。
そこにもたらされた平賀源内獄死の報──。源内を死に追いやったのは意次自身ではと憤る蔦重に、
意次「察しがよいな。俺と源内との間には漏れてまずい話など山ほどある。何を口走るかわからぬ狐憑きは、恐ろしいからな」
蔦重「忘八……この忘八が!」
仁義礼智忠信孝悌、人間として大切な八つの徳を忘れた者への侮蔑の言葉。社会から差別される吉原者から、この世の頂近くにいる老中への悪態だ。それを顔色ひとつ変えずに受け止め、意次は蔦重の前から立ち去った。
偽善者ならぬ、偽悪者。意次は、これ以上犠牲者を出さないために自分が泥を被ることに決めた。その覚悟は潔いが、のちに江戸のメディア王となる蔦屋重三郎が老中・田沼意次は忘八、悪事を働く外道と思い込んだことに不安を覚える。たのむ、この嫌な予感外れてくれ!
意次が懐から出した源内最後の草稿には、死を呼ぶ手袋の噂を利用して殺人を繰り返す悪党と、その悪事に気づいた主人公「七ツ星の龍」の物語が書かれていた。悪党は「七ツ星の龍」を殺人犯に仕立て上げようとする。
「そこに現れたるは、古き友なる源内軒。これより幕を開けたるは、そんなふたりの痛快なる敵討ち」
「七ツ星の龍」とは、七曜紋を家紋に持ち、幼名は龍助であった田沼意次。源内は平秩東作から手袋の情報を聞き、意次が何者かに陥れられていることに気づいた。そして戯作、自分の筆で真相はこうだと世に知らしめようとしていたのだ。自分も作品の中に登場し、龍と源内の痛快バディ探偵物語として──。
え。これ、読みたい。読みたいです、源内先生! それなのに、最初の一枚以外はすべて賊が持ち去ってしまった。くそっ、返せ戻せ読ませろ。
草稿を一枚だけ残した意味は、源内は真相に迫ったから死んだのだと意次に伝えるためだろう。
「源内。言うたではないか。お前のために忘れろと……」
意次は涙を浮かべてこう呟くが、源内は保身のために黙るような男ではなかったのだ。心身がズタズタに傷ついても、事件の裏を見抜き、意次のために筆を執った。「七ツ星の龍」の物語を書く間、目は正気の光を取り戻していたのだ。
意次と源内は、お互いに盟友を守りたかったが叶わなかった。こんな事態に追い込んだ、真犯人が心底憎い。
「薩摩の芋は旨いのう」
一方、その頃。江戸城内の一橋邸では、一橋治済(生田斗真)が芋を食べている。
「薩摩の芋は旨いのう」
治済の嫡男・豊千代は、これより3年前、安永5年(1776年)に薩摩藩の茂姫と婚約した。芋は薩摩藩からの進物だろう。婚約後の茂姫は江戸城内の一橋邸で養育されている。婚約当時どちらも3歳という幼いふたりは、今後江戸幕府に大きな影響を及ぼすことになるのである。
治済が庭で焚き火にくべさせているのは、久五郎殺害現場から持ち去られた血染めの草稿、源内の絶筆……やはり治済が黒幕だった。
将軍世継である家基を暗殺し、その疑いを現将軍からの信頼篤い老中・田沼意次に向ける。
真相に気づいた者を次々と殺める。しかもすべてが周到であり、源内を死に追いやるやり口はじわじわと嬲り殺すような残酷さであった。
近隣住民の目がある長屋から、いわくつきの屋敷に隔離する。他者との交流を制限した上で、薬物漬けにして劣等感を植え付けて、追い詰める。殺人事件の容疑者として牢獄に繋ぎ、最後には毒殺。不自然なほどに手が込んでいる。ふと2話(記事はこちら)の「我らには子を成す以外に為すべきことなどない」という治済の台詞を思い出した。
田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の御三卿は、徳川将軍家の後継が絶えそうな時に男子を差し出す役目。治めるべき藩を持たず、治済の言葉を借りれば子を成す以外にやることがない。嫌な想像だが、もしやこの陰謀のあれこれは、治済にとっては暇つぶしなのか……?
焼ける血染めの草稿を前にして、楽しげに芋をパクつく治済の表情。人を無惨に死に至らしめた良心の呵責などまったくない、いや良心を持ち合わせていない者の顔である。
政治的能力があろうがなかろうが、仁の心を持たず命を弄ぶ者を政に関わらせてはならない。
ここで本音を言わせてほしい。バチ当たってくれないかなあ!!
歴史上の治済がどうであろうと、この野郎にはドラマのどこかで物凄いしっぺ返しをくらわせてほしい。「痛快なる敵討ち」のフィクションを心から期待する。
本を作る者の存在意義
源内の塚の前での、蔦重と須原屋市兵衛のやり取りは、この16話の、いや物語序盤の肝であった。
江戸時代、罪人の骸は縁者に引き渡してもらえなかった。それを逆手に取り、実は源内先生は生きていたってのはどうです? と泣きながら語る蔦重。
蔦重「わかんねえなら楽しいことを考える。それが俺の流儀なんで」
須原屋「じゃあ俺はな、平賀源内を生き延びさせるぜ。この須原屋が源内先生の本を出し続けることでさ、ずーっとずーっと。それこそ俺が死んでも、源内先生の心を生かし続けることができるだろ」
おそらくこれまで、悲しい別れを幾度も経験してきたであろう須原屋の声は、こんなときでも明るい。俺が作る本がこの世にあるかぎり、本に関わった人々の命は永遠なのだと知っているから。書物を作り、世に出す意味。書物を残す意味。ひとが何を考え、どう生きたか。それを後世に伝えるのが書物である。
蔦重は須原屋と源内から、本を作る者の存在意義を教えられたのだ。
源内「お前さんはさ、これから版元(板元)として書を以て世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にするんだよ」
安永9年(1780年)子年の正月。10作もの新作を一挙刊行!
源内からもらった「耕書堂」の名とその意味を胸に、蔦重はまた新たに一歩踏み出す。
次回予告。新章開幕! 鶴屋喜右衛門(風間俊介)おひさしぶり。子だくさんの一橋治済、対して徳川将軍家周りには「将軍を継げる男子がおらぬ」。佐野政言(矢本悠馬)再登場、皆さん彼を覚えていらっしゃいますか。新之助(井之脇海)! えっ帰ってきたの? うつせみ(小野花梨)はどうしたの。耕書堂が出す往来物とは。
17話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、安田顕、生田斗真、高橋克実、渡辺謙 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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