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考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』美化できない暗部も見せた1話。物語を陰惨に引きずらせない蔦重(横浜流星)の明るさ、力に魅せられる

1月5日、大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 (NHK/日曜夜8:00〜)スタート。1話「ありがた山の寒がらす」では、主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)が暮らす江戸中期の吉原が描かれました。時の老中田沼意次(渡辺謙)との出会いは、のちの江戸のメディア王・蔦重にどんな影響を与えたのでしょうか。2024年の『光る君へ』につづいて、ドラマを愛するつぶやき人・ぬえさんと、絵師・南天さんが各話を毎週考察していきます。

文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ

九郎助稲荷を守った蔦重

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』1話イメージイラスト/主人公の蔦重と花魁・花の井は幼なじみ。初回は九郎助稲荷様がスマホで吉原を案内してくれた/南天
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』1話イメージイラスト/主人公の蔦重と花魁・花の井は幼なじみ。初回は九郎助稲荷様がスマホで吉原を案内してくれた/南天

「火事と喧嘩は江戸の花」という。
大河ドラマで初めて江戸中期を舞台に、庶民を主人公とする『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、まさにその火事から始まった。明和9年(1772年)、「江戸三大大火」(明暦の大火、明和の大火、文化の大火)のひとつ、いわゆる目黒行人坂大火である。死者1万4000人以上、行方不明者4000人以上。江戸城から南西7Kmほどの距離にある目黒から始まったその火事は、木造の家々を焼き尽くしながら進み、江戸城の北東5Km、幕府公認の遊郭・吉原を襲った。

吉原のすぐ近くに広がる田んぼまで、必死に逃げる客と遊女ら。避難する人々に火が燃え移らないよう水をかける男たち。彼らの中に、彫物(刺青)を入れた人物が一瞬見えて「江戸」を感じさせる。焼け落ちる吉原の見世(みせ)を眼下に、火の見櫓で半鐘を打ち鳴らす男──蔦屋重三郎(横浜流星)、蔦重がこの物語の主人公だ。

一斉に逃げていく群衆とは逆方向に走る花魁・花の井(小芝風花)が探していたのは、さくら(金子莉彩)、あやめ(吉田帆乃華)のふたりの禿(かむろ/上級遊女に仕える見習い少女)だった。ふたりは九郎助稲荷に願掛けをしているので、狐像を火から守ろうとしていたのである。火に巻かれそうでもお稲荷様から離れない禿たちに業を煮やした蔦重は、どぶに狐像を放り込み、お稲荷様を担いで走った。途中、この火事で両親を亡くしたらしき少年(渡邊斗翔)も連れて。
舞い散る火の粉、襲いかかる火炎。三日三晩江戸の町を焼き尽くしたこの大火から、自分より弱い女と子ども、そして九郎助稲荷の祠を守ったこの日。蔦重は稲荷神の加護を得たのかもしれない。

スマホを取り出した!

安永2年(1773年)大火から復興した吉原で、色里としてのこの街を紹介するのは九郎助稲荷(綾瀬はるか)。ドロンと登場! 

九郎助へ化けて出たいの願ばかり
(九郎助稲荷には狐になって化けてでも、ここから出たいという遊女の願掛けばかりだ)

こんな江戸川柳が残されている。それほどに吉原という苦界に生きる人々の信奉厚い神社だった。さくらとあやめが祈ったというお願いごとも、この類だろう。
落語のマクラ(※本題に入る前の小噺など)には「尾を持つ狐は術で人を騙しますが、女郎は尾がなくとも男を騙すので尾はいらん、尾いらん、花魁……と申すそうでございます」というのがあるが、この九郎助稲荷様の花魁姿には尾がある。あでやかな姿で顔は綾瀬はるかだが、正体はお稲荷様である。果たして可愛らしいだけだろうか。

と思っていたら、スマホを取り出した!
文明の利器や現代的言葉を使いこなすのは、大河ドラマにおけるナビゲーターのお約束だ。『青天を衝け』(2021年)でその役割を担った徳川家康(北大路欣也)の「こんばんは、徳川家康です」の挨拶もそうだし『葵徳川三代』(2000年)の徳川光圀(中村梅雀)などは「戦の大事なエチケット」「大名の石高ベスト10はこちら」と言い出したり、外来語多用のはじけたお人だった。
彼らは数百年前の時代と現代の我々視聴者を繋ぐ大切な存在なのだ。

ところで、このスマホ。画面を見ると作りこまれていて楽しい。江戸城の周りに小さく点々と散っているのは大名家の家紋で、各藩の大名屋敷を示している。日本橋から吉原までのルートは、徒歩以外に籠、船、馬での所要時間も表示。ちなみに吉原の評価は星2以下……女郎に振られた、見世にぼったくられた客の腹いせレビューか、それとも江戸市中からちょっと離れた田園地帯の真ん中という、若干不便で寂しい立地ゆえか。

吉原は、大坂夏の陣(1615年)で豊臣家が滅んだのちの元和2年(1617年)、傾城屋(女郎屋)の楼主たちの請願に江戸幕府が応える形で、公認遊郭として誕生した。現在の東京・日本橋人形町あたりに広がる湿地帯に土地を与えられて始まった色里は、その後の江戸の繁栄と人口流入によってあっという間に商店、人家に囲まれた。風紀の乱れを懸念した江戸幕府は明暦2年(1656年)に吉原を移転させることにしたのである。現在の皇居と人形町の距離を思い描いて、そこにある大規模な色里を想像すると、移転命令にも「そりゃそうでしょうね!」という感想が出る。

今までの賑やかな界隈から田んぼばかりの郊外に移転させられることに、当然吉原側は抵抗した。そこで「夜間営業許可(※それまでは昼のみ営業だった)」「色里範囲を五割拡大」「私娼で営業している風呂屋を潰す」などの条件が幕府から示され、引っ越しを飲んだのだ。その大移動から117年。

その間に非認可の色里──いわゆる「岡場所」が、深川、上野山下、根津、音羽、赤坂にどんどん生まれ、どれも繁盛した。なにしろ大きな神社仏閣の目の前など、人が集まる場所にあるのだ。その上、幕府は享保3年(1718年)、主要街道の宿場に限って旅籠1軒につき2人まで飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる女郎の在籍を許可した。さらに江戸の玄関口である品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿の宿場町はその制限も外されたので女郎が多く、旅人だけでなく江戸在住の男たちも足を運んだ。
なにしろ吉原よりも気軽で料金が安かったのだ。高い塀も堀もなく開放的だし。

いくら吉原に女郎が3000人いたとしても、町から離れた辺鄙な場所にあって、縛りも多い色里に、あえて直接的な言い方をすれば「女を抱くためだけに」男が出かけてゆくだろうか……他にも遊べる場所はあるのに。第1話での吉原は、現在こういう状況なのである。

『光る君へ』まひろの志が

火事場から救われた少年・唐丸(からまる)と共に、蔦重が大見世・松葉屋に入っていく場面で思わず身を乗り出した。リラックスした花魁と禿たちの姿が、まるで鳥居清長の絵のようだ。

松葉屋の女将・いね(水野美紀)。眉がない! 江戸時代の既婚女性の証である。この姿を大河で見たかったのだ……! と大喜びした。『近松物語』(1954年)、『藤十郎の恋』(1955年)、『椿三十郎』(1962年)など、古い日本映画で登場する眉を落とした、あるいはごく薄く墨を引いた女性たちが表現したのは成熟した美であった。
大河ドラマならではの時代考証と現代の映像作品で成り立つバランスを考慮した上で登場した、この女将姿を歓迎したい。

松葉屋の広間では、この見世に所属する女郎たちが朝食中だ。女郎は夜明け頃に客を起こし見送ってから二度寝し、昼四ツ(午前10時頃)から昼九ツ(正午頃)に昼見世(昼の営業)が始まるまでが食事や入浴などの自由時間だった。美しく盛り付けられ、ずらりと並んだご馳走。
さすが大見世ともなると、女郎の食事も豪華……ではない。これは「台の物」という前夜の客に出された仕出しの宴会料理で、その残ったものを朝食に出している。見た目重視の飾り物のような料理なので、味はイマイチというのが定評だったらしい。

花の井と同じく呼出花魁である松の井(久保田紗友)が手紙を書いている。天紅(てんべに)と呼ばれる巻紙にしたためているので、常連客への便りだとわかる。白い紙の上部を紅で色付けして、遊女の白い肌と口紅を連想させる艶っぽいものだ。
そして食後は、蔦重が広げる貸本にみんなが集う。新刊から好みの本を探したり、続きを読みたがったり。蔦重の持ってきた書籍は赤本(児童書)、洒落本(戯作)、軍記物、怪談など、バリエーション豊かだ。

この場面で昨年の大河ドラマ『光る君へ』を思い出し、ちょっと泣きそうになった。紫式部──まひろ(吉高由里子)の志は、文字の読めない人を少しでも少なくすることだった。紫式部や清少納言ら、優れた文学者が撒いた種は750年以上の時の流れの中で芽吹いて、人々の「読みたい」という願いによって育ち、大きく葉を広げた。松葉屋の座敷持花魁・うつせみ(小野花梨)の名は『源氏物語』からであろう。まさに源氏名だ。貴族ではない女性たちが読み書きできる、子どもでも紙の書物を手にしている。
まひろがこの光景を目にしたら、どんな感想を抱いただろう。

ただし。この子どもでも読み書きできる環境は、彼らが労働力だったからだ。江戸の人々の識字率、子どもへの教育については、おそらく今後このドラマレビューで触れることになる

借金が雪だるま式に増えてゆくシステム

貸本のレンタル料について、一冊6文から24文と説明された。現代の円で換算するといくらくらい? と疑問が湧くが、江戸時代の貨幣価値を現代に置き換えるのはかなり難しいので、ドラマ内では「お蕎麦一杯は16文」を目安として挙げている。江戸のファストフードである蕎麦が16文なら、娯楽である貸本レンタル料は6文から24文、まあそんなもんか……と、ざっくりだが理解できる。ちなみに1両は4000文。蕎麦250杯分。

あやめが汚してしまった貸本の代金、18文を花の井に請求する蔦重。さりげなく、花魁と禿たちの関係を示す場面だった。なぜ楼主の半左衛門(正名僕蔵)に請求しないのか。禿の衣食住他にかかる費用は、見世が負担するのではない。禿が仕える上級遊女がもつものだからだ。

ここにいる女性たちの殆どは、親が女衒(ぜげん/売春労働仲介業者)を通して店に売り渡した娘である。親が娘の給料を前借しての奉公という形ではあったが、実質人身売買だった。第1話の安永2年から40年ほど後に出版された書籍『世事見聞録』には「地方では3両から5両の金に困って親が娘を売る」とある。

蔦重から花の井に「おめえは一晩で10両20両稼ぐだろ!」という台詞があり、じゃあ花魁になったら親の借金5両くらい、すぐ返せるんじゃない? と思う。が、膨大な利子がつけられる上に、女郎の生活費はすべて見世に女郎自身のツケとされたから、吉原で生きているだけで借金が雪だるま式に増えてゆくシステムである。27歳の年季明けまで勤めねば返済できない。まして上級女郎になって、禿や振袖新造(禿を卒業した女郎見習の少女)を見世からつけられ、彼女たちの面倒を見ていたら借金の額は途方もないものになっただろう。
年季明けの27歳までに返せればまだいいが、では返せなかったらどうなる?

その答えは、すぐに示された。

行き場のない女郎の行き着くところ

豪華だけれど毎日だからみんな飽きているのか、それともやっぱり味がイマイチなのか。大量に余っている台の物の料理を花の井が弁当箱に詰めて、蔦重に託す。ふたりの恩人・朝顔(愛希れいか)のもとに届けてくれと。
朝顔は、最下級の女郎屋・切見世が並ぶ浄念河岸の「二文字屋」にいる。切見世の女郎は年増(30歳前後)かそれよりもっと年上の女性が多かったという。つまり、27歳の年季が明けても借金が返せない、行き場のない女郎の行き着くところであった。
そこにも大見世・松葉屋と同じく「お姫様がた!」と入ってゆく蔦重の明るさよ……。

麦の薄い粥をすすっていた女郎たちが「遊んでっておくれよ」「客なんか来ないよ」と蔦重にしなだれかかり、弁当箱を奪い取って中の料理をむさぼる。
そういった環境の見世に朝顔は、松葉屋で借金を返せないまま27歳を超え、花の盛りが過ぎたからと送られた。患っているのは結核か。客が取れなくなり、寝かされているのは物置としての行燈部屋。
稼げない女郎に対して、ちゃんとした布団があるだけでも温情ある扱いのほうなのかもしれない。

そこで朝顔が蔦重にせがむのは、貸本の朗読だ。当然彼女も字は読めるが、蔦重との時間を楽しみにしているのだろう。物語の登場人物はサザエ、龍王……これは天才・平賀源内の大ベストセラー小説『根南志具佐(ねなしぐさ)』だ。
蔦重と笑い合い、病の苦しみを忘れて物語に耳を傾ける朝顔の表情に、また去年の『光る君へ』最終回「つづきは、またあした」を思い出して泣きそうになる(記事はこちら)
物語は、エンターテインメントは、食事も喉を通らなくなった人の心を満たす。それを届ける人の愛とともに。

ズドーンと恋してしまう男たち

吉原の最上級と最下層、そしてこの色里の不景気を見せたあとは、ここにやって来る客の描写となる。がらっぱちな男・磯八(山口祥行)と仙太(岩男海史)を従えて、茶屋「つたや」にやってきた若い武家は長谷川平蔵宣以(のぶため/中村隼人)!
待ってました! のちの鬼平、池波正太郎原作・大人気時代劇『鬼平犯科帳』主人公のモデルである。
武家なのに胡乱な男に「兄イ」と呼ばれ奉られている。シケ(こめかみ辺りに作ったほつれ毛)を垂らし、気に入らない人間を子分に殴らせる男。まあこの時点ではいけすかない若造だが、彼がこのあと吉原でどのように扱われ、物語の中でどう成長してゆくのか楽しみだ。

暮れ六ツ(日の入りから約30分後)、提灯に火が入り、清掻(すががき/三味線によるBGM)が流れる中、艶やかな夜見世が幕を開ける。籬(まがき)を隔てて女郎がずらりと並び、道行く男たちを誘う。ここに座るのは座敷持ちのうつせみまで。松の井、花の井は最上位の呼出花魁、まさに今、花の井が呼び出されて引手茶屋・駿河屋まで大金持ちの客を迎えに行く──このお迎えの行列が、かの有名な「花魁道中」である。

禿、振袖新造、番頭新造(とよしま/珠城りょう)、遣手(まさ/山下容莉枝)、若い衆を従えて、外八文字(そとはちもんじ)という独特の歩き方で優雅に……。
優雅だけど、おっっそ! 遅い。こんなスピードでいいのかと思うが、待たされている客は焦らされながらその時間を楽しみ、引手茶屋は十分に飲食してもらい、花魁の到着までつなぐ芸者や幇間(ほうかん・たいこもち)には収入がある。引手茶屋から松葉屋に移動する間もまたゆっくり、行列に加わった客は「この花魁と一晩過ごせる自分」を見物客にアピールしながら歩く。まさにお大尽しかできない遊び方。
この道中で高嶺の花である花魁を一目見て、ズドーンと恋してしまう男たちの、なんと多かったことか……そう、このドラマの長谷川平蔵のように。
落語の『紺屋高尾』、歌舞伎『籠釣瓶花待酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』。いずれも花魁道中で恋に落ちた実在の男をモデルとした作品である。結末は超ハッピーエンドと超バッドエンドの真逆ではあるが。

そして長谷川平蔵一党は早速松葉屋に乗り込んだ。「あの女とやらせろ」ヒィッ直接的!下品な。吉原では野暮の極みと嫌われる類の横暴ぶりである。
「大の御旗本なんだぜ!」「しかも明和9年、火事の咎人をあげた火付盗賊改方の長谷川平蔵宣雄様! の、ご子息の長谷川平蔵宣以様なんだぞ!」

聞いてるほうが恥ずかしくなる、七光りのイキリぶり。これは10年後、本人も夜中に思い出して羞恥にのたうち回る類のイキリかたである。
ははーっと平伏する松葉屋夫妻だが、おそらくちっとも恐れ入っていないだろう。

忘八に見参せんと武左怒り
(楼主にオラオラと怒る野暮な侍がいる)

という江戸川柳があるくらい、威張り散らし威圧する武士には楼主は慣れっこなのだ。
そして傍で聞いていた蔦重の表情が明るくなる。「そういうクチか……」
自分の養父である引手茶屋・駿河屋主人、駿河屋市右衛門(高橋克実)に、極上吉のカモがネギしょってやってきたと引き合わせた。コワモテの市右衛門も飛び切りの笑顔でもてなす。平蔵は蔦重を「人を見る目を持ったほうがいいぜ」と煽ったが、吉原で発揮される「人を見る目」とは、つまりカモを選別する目だ。あの歓待のされようでは未来の鬼平は、逆さに振っても血も出ないくらい搾り取られるだろう。おお、こわ。

裸で地面に転がされている4人

大見世、引手茶屋での賑やかで華やかな場面の次は、夜になっても客が来ず、飢えて皿を舐める河岸女郎。空腹のあまり放火をする女郎。貧困に喘ぐ女たちが描かれた。そして、病で衰弱していた朝顔がついに──。

女郎の遺体が投げ込まれる、通称「投げ込み寺」に蔦重が駆けつけた場面に、思わず悲鳴が出た。裸で地面に転がされている朝顔ら4人の遺体。女郎に病欠は許されない。医者も呼んでもらえない。客が取れないほど寝込めばその分借金が増えるだけ。稼げない病人には、治療どころかろくな食事すら与えない見世がほとんどだったという。過酷な労働条件下で、多くの女郎が死んでいった。
葬られるというのに、着物と同時に死者の尊厳まで剝ぎ取られた裸体。そこにエロスはない。どんなに艶やかに華やかに飾っても、女郎の体はあくまでも遊郭が所有する商売道具にすぎないのだと、吉原の悲惨さを訴える場面だった。
そして、蔦重の朝顔との思い出話。捨て子の彼に朝顔は本を読む楽しさを教え、浮世が苦しいから、辛いからこそ人は創作を求めるのだと伝えた。この場面でも『光る君へ』第1話のまひろを思い出す。「唐丸は公方様(将軍)の隠し子で……」は、まひろの「私の母は帝のご寵愛を受けて私を産んだの」のオマージュだ。
蔦重「吉原に好きこのんで来る女なんていねえ」「キツいつとめだけどおまんまだけは食える、親兄弟はいなくても白い飯だけは食える」それが、自分の育った吉原。のはずだった。
朝顔の死を受けて、せめて女郎が飢えずに済むようにと蔦重は立ち上がる。

さすが忘八……

飢えて病に倒れた女郎たちとは対照的に、豪華な料亭仕出し弁当を前に喜ぶ女郎屋と引手茶屋の主人たち。その料亭は『百川』! 落語「百川」でおなじみ、浮世小路(現在の日本橋室町のあたり)に、明和から明治元年まで実在した懐石料理屋である。

箸を進めながら、放火をするまでに追い込まれた女郎を嗤う。その場に乗り込んで女郎の窮状を訴える蔦重の話をまるっと無視する。さすが忘八……人間として必要な八つの徳を忘れなければ、女郎屋の主は務まらないという。大見世の主人ともなれば武家や豪商とのつきあいもある。経営のセンスと教養と胆力がいる。そしてなによりも冷酷さ──これらが必要だったのだ。それが十分にわかる会合の様子。わかるけど、腹立つ!!

私たちは忘八なもんでねとうそぶく扇屋宇右衛門(山路和弘)の即興狂歌は

忘八は丑寅門の人でなし午の出入りはなき葦の原
(我々忘八は江戸城から丑寅の方角にある大門(吉原)に住む人でなしだ。その門はウマの出入りはできないんだよ、吉原だからね。※ウマは「人を乗せる」ことから女郎の隠語)

ウマい! ウマだけに! と、また笑う。上手いか……? コレ。やっぱり腹立つ!
しかしこの強烈な場面で、大黒屋女将・りつを演じる安達祐実、駿河屋女将・ふじを演じる飯島直子が印象的だ。怒鳴り声にも、殴られ引きずられ階段から叩き落される蔦重にもフン、と動じない。朝顔が「優しいからこんな風に」哀れな最期を遂げた女なのであれば、松葉屋、二文字屋、大黒屋、駿河屋の女将たち吉原で生き残った女、サバイバーということなのだろう。

一筋縄ではいかない忘八連合の前に撤退させられた蔦重は、吉原のライバルである岡場所、飯盛女を取り締まってもらおうと、警動(手入れ)を願い出る。その請願先は、大胆にも老中・田沼意次(渡辺謙)!異様に早口な厠の男(安田顕)に「田沼様はけっこう話を聞いてくれるよ」とアドバイスされたのだ。この場面「無理じゃない? 蔦重」と、大人より冷静な唐丸にちょっと笑った。

首尾よく田沼意次に謁見が叶い直訴する蔦重。ちゃんと運上・冥加(営業税)を納めている幕府公認の吉原が、無許可営業の岡場所、宿場の売春行為に圧迫されるのは道理に合わない、取り締まってくれと訴えるが、宿場の繁栄は国益に繋がると却下される。
更に意次は、料亭「百川」主人からの情報として、忘八と茶屋主人たちの取り分が不当に高いことを指摘。
「現場の苦労は上が儲けを抜いているからだろう。客が足を運ばないのは営業努力をしないお前たちの自己責任だろう」と言われているのだが、直訴却下されたと凹むのではなくヒントをもらった! と目が輝きだすところが、この蔦重はまさに未来の出版王・偉大なるビジネスパーソンの卵だと感じさせる。渡辺謙と横浜流星がいい芝居を見せてくれた。

ところで「百川」って、実在した料亭だから名前を使っただけでなく、ドラマ上で結構重要な存在だったりします……? 田沼意次に情報提供しているだけでなく、忘八会合の仕出し弁当。女郎にカボチャ食わせて成りあがった大文字屋市兵衛(伊藤淳史)がいるとわかっている席に、カボチャの上に豪勢な料理を飾りつけて出すのって皮肉ではないか?
一体どんな人物なんだろう、百川の主。

決して美化できない暗部も

「警動」直訴は忘八連合に即バレし、蔦重は激しいリンチに遭う。桶伏の刑に処せられ、その中で三日三晩考えて出た答え。吉原に客を呼ぶアイデアが生まれた!

第1話はテンポよく、江戸文化を描く上では外すことができない遊郭・吉原のシステムを紹介すると共に、決して美化できない暗部も見せた。そして、性と暴力が画面にあっても物語が陰惨に引きずられない、蔦重の明るさ──横浜流星の力を感じた。一年間、楽しみだ。

次週予告。吉原のアピールポイントを探せ。『おんな城主直虎』ファンの皆さん、井之脇海が出ます! また来た平蔵。江戸城内の様子も見てみよう。平賀源内先生、本格的に始動!
第2話が楽しみですね。

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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、安田顕、小芝風花、高橋克実、渡辺謙 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか

*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。

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