名作はなぜこんなに面白いのか——時を超え読み継がれる理由「世界文学」編
撮影・黒川ひろみ イラストレーション・いとう瞳 文・辻さゆり
時代も国も超えて変わらないもの
『風と共に去りぬ』
『高慢と偏見』
『嵐が丘』
朝ドラで韓流!?『風と共に去りぬ』
三宅香帆さん(以下、三宅) 『風と共に去りぬ』は映画もおもしろかったのですが、小説のほうが好きでした。小説だと主人公のスカーレット・オハラってそんなに美人ではないんですよね。
大岡玲さん(以下、大岡) そうそう。父親譲りの意志の強そうな張った顎やがっしりした足などと表現されていて、スタイル抜群の美人とは言いがたい。
三宅 でも、ガッツがある。現代で言うと、朝ドラだと思うんです。
大岡 朝ドラで、韓流で、さらに中国の歴史ドラマのようでもあります。
私は荒このみさんの訳が好きで、解説を読んで気づいたのは、スカーレットのお父さんのジェラルドがアイルランド人だということ。物語の背景である南北戦争の頃のアメリカではアイルランド人は差別されていましたから、男性にモテモテのスカーレットも実は差別される要素を持っている。
スカーレットに対して、他の女性たちの風当たりがきついじゃないですか。そこには「所詮、あの人たちはアイルランド人」という思いがあったのだとわかって、物語の景色が違って見えてきました。
三宅 なるほど。女性差別や黒人差別だけではなかったんですね。
大岡 そしてこれもまた『源氏物語』と同じで、出てくる男性がみんなどうしようもない(笑)。この辺りは現代にも共通するテーマですよね。
三宅 そうなんですよ。そこも好きなポイントですね。男性はあまり役に立たなくて女性ががんばるところ。
大岡 荒さんの訳ではありませんでしたが、私はこの本を小学校6年の時に読んで「メラニー、怖い!」って思ったんですよ。
三宅 え!なぜですか?
大岡 病弱で弱々しく見えるのに芯が強い彼女が、どういう気持ちでスカーレットをこれほどまでにかばうんだろうと考えるとだんだん怖くなって……。
三宅 それはおもしろいですね。男性から見るとスカーレットとメラニーのシスターフッドって異質に感じるのかもしれません。だけど、気が強い子と病弱で弱々しい子との組み合わせは昔も今も多い気がします。
大岡 すごく興味深いですね。メラニーが死に瀕した時に、スカーレットは「アシュレイをお願いね」とメラニーから夫を託されてしまう場面があるじゃないですか。そういう描写も女性作家ならではだと思います。
三宅 確かに男性作家だとこの発想は出てこないかもしれないですね。
結婚と財産をめぐる問題『高慢と偏見』
大岡 『高慢と偏見』を最初に読んだ時、私はこれは松竹新喜劇だ!と思ったんです。ねっとりとした家庭劇みたいな感じじゃないですか。
三宅 私はもともとオースティンが書くものがすごく好きなんです。半径5メートルの家庭内や近所づきあいの中で生まれる人間の普遍性。たぶんオースティンは人間をすごく観察していた人だと思います。
それをいじわるに書くというよりは、人間はそういうものだからしょうがないと捉えるところが素敵ですよね。日本だったら向田邦子さんのエッセイに似ている気が……。
大岡 向田さんのほうが少し寂しい感じかな。オースティンは最後にほわっと包んで落ち着かせてくれる気がします。
三宅 あー、なるほど。パロディといえば、辻村深月さんの『傲慢と善良』という小説があります。婚活をテーマにした小説で、私の周りの婚活している友人たちが「この本は刺さりすぎて怖い」と言っていて、『高慢と偏見』のフォーマットが時代を超えて読まれている気持ちになります。
大岡 それは知らなかった。読んでみよう。
三宅 『高慢と偏見』は、親が娘を金持ちの男性と結婚させようとするけれどうまくいかないという話ですよね。オースティンの時代って、ある意味、母親はこう、父親はこうといった型があるので、私は読みやすく感じます。
大岡 現代も変わっていないという感じがしますよね。ミセス・ベネットみたいな人って絶対にいるし。
この本は筋立てだけを要約すると、そんなに起伏がないものの、会話のおもしろさ、頓知や機知に富んでいるところが読みどころ。友だちや近所の誰か、ちょっとくせのある人を思い浮かべながら読んでもらいたいですね。
三宅 友だちの恋愛話を聞くような感じで読むのもおもしろいと思います。
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