『ひ』著者、井上奈奈さんインタビュー。「自然の中に自身の片割れを探してみて」
撮影・石渡 朋 文・鳥澤 光
「自然の中に自身の片割れを探してみて」
「私の一番古い記憶から生まれた物語です」と、新作絵本『ひ』について語る井上奈奈さん。真っ赤に彩られたカバーには生き物たちが居並び、ページをめくれば創世神話の世界が、絵と言葉によって形を与えられ広がっていく。
「2歳のとき父と花火をしていて、あまりにきれいで手を伸ばしてしまいました。火花をつかんだ熱さの感覚自体は忘れてしまったんですが、父の大きな声にびっくりしたことを今でも覚えています」
原初の記憶にきらめく光と闇が、作家にひとつの発見をうながす。
「それまでの私は考えるよりも先に体が動いてしまう、動物に近い存在だったんじゃないかと思うんです。そして火をつかんだ瞬間、自分というものを認識して自己が芽生え、初めて人間になった。あの日、動物からわかたれたことで失くしたものってなんだったんだろう? 片割れの動物はどこで何をしているだろうか? ずっとそう考えていて、その感覚を深掘りするように物語を作っていきました」
暮らしと歴史と言葉から動物や自然との関係を考える。
「わかたれた」という実感は、幼いころから続く動物との暮らしとも奥深く繋がっているようだ。
「今は猫1匹だけですが、家にはいつも動物がいました。17歳のころにアメリカでホームステイをしていたのですが、その家にも犬と猫が2匹ずつ、山羊とミニブタも一つ屋根の下に生活していて、私が毎日ご飯をあげていました」
暮らしのなかで人と動物の関係について考えるうち、トーテミズムやアニミズムを知り、星野道夫の〈一見荒涼とした世界に、生命はどこかで確実に息づいている。一頭のクマを見たことで、あたりの空間は突然ひとつの意味を帯びてくる。それが極北の自然だった〉(『イニュニック[生命]―アラスカの原野を旅する―』より)という言葉に出会う。
「自然を考え、世界を見る目線を大きく変えるきっかけになった言葉です。私が抱いてきた抽象的な考えを絵本の物語にするのはどうしても難しくて、これまで何度かチャレンジしつつ実現できずにいました。でも、北極冒険家の荻田泰永(やすなが)さんと共作した『PIHOTEK 北極を風と歩く』の白い氷の世界から、この『ひ』へ物語を繋げることができてうれしいです」
作家によって絵本という形に切り出されるのは、世界の一端、あるいはもうひとつの世界だ。
「私は絵本作家と紹介されることが多いのですが、自分が作ってきたものがたまたまそれに一番近しい形をしているから絵本として出版されている、というのが実感です。ただし絵本って特異な存在で、この形だからこそ忍び寄れる場所があるんですよね。現実世界でタブーとされていることだったとしても、絵本のなかではその行為が受け入れられ、許される。そんなふうにして、言葉にされてこなかったものであっても、ファンタジーをとおして可視化することが私の仕事なんだと思います」
『クロワッサン』1127号より
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