『家から5分の旅館に泊まる』著者、スズキナオさんインタビュー。「旅のときしか入らない心のスイッチってありますよね」
「旅のときしか入らない心のスイッチってありますよね」
前書きにこうある。
〈「疲れた。もう何もしたくない」と言いながら、自分は無性にどこかに行きたくなる〉
本書はそんなスズキナオさんの〈よろけるような旅の歩み〉のエッセイ集だ。
表題のとおりの、家から徒歩5分の場所にある家族経営の旅館に泊まってみたり、サイコロきっぷ(行き先がランダムに決まるJR西日本の割引きっぷ)で引き当てた場所を訪れたり。ワーケーションという言葉を聞いて訪ねた熱海で仕事をしてみるも、散歩で出会ったセルフ温泉卵に多くの紙幅が割かれる。本人も大好きだという『つげ義春日記』のような、モノクロームの旅情が全編を覆う(でもカラーグラビアがついています)。知らない町の駅から延びる知らない道を、ぽくぽく歩くスズキさんの姿が見えるよう。
常に抱えておられるように見える、どこかに行きたいという気持ちは何からくるのでしょうか?
「言葉は悪いかもですが、やっぱりこの現実から逃避したいとう……。皆さん誰でもあると思うんですけど、日々やらなきゃいけないこととか、家事、仕事とか。一日でも隙間を見つけてそこから離れて深呼吸、っていうのをしたくなるんでしょうね。放浪の旅に出たいというほどの勇気もないし」
散歩の途中で喫茶店に寄ればそれも小さな旅。
どこかへ行くことの意味とは、自身にとって何でしょう。
「移動する距離は問題じゃないんです。いつもと違う場所で一定の時間、一日でも半日でもいいから過ごしてみる。散歩の途中で喫茶店に入るのでもよくて、旅のモードに自分が感覚として入ることが大事で。この自分の知らない土地・知らない場所で、当たり前にここを生活の舞台として暮らしている人がいるんだなと思い、つぶさに見ようというふうな意識になっていく。それが大事なのかなと思います」
スズキさんは街や人の様子だけでなく、旅の途中の自分の心も観察して書き留める。
「旅って、観光スポットに行って『わー、ここは絶景だ』というのも楽しいんですけど、そこに歩いて行く途中とかでいろいろなことを感じるもの。必ずしも旅先に関することじゃなくて、それをきっかけに思い出される記憶とか、偶然聞こえてきた会話とか。今回はそういう全部自分の脳内で起きたことをできるだけ素直に書いてみようと思ったんです。旅モードに入ったことで外界からの刺激があって、昔の友だちのことを思い出したりとか自分にいろんなことが訪れる。行くことがスイッチになって自分の中にある何かが動くみたいな。それが楽しくてまた旅に出たくなるのかもしれないです」
疲れてしまった日、どこかに行きたい、心だけでもどこかへ。そう思ったとき本書を開けば、缶チューハイ片手にスズキさんが一緒に歩いてくれる。それはまさに同行二人(どうぎょうににん)。
『クロワッサン』1126号より
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