『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』著者、湯澤規子さんインタビュー。「女性の導き伝えあう力を、信じたいです」
撮影・中村ナリコ 文・遠藤 薫(編集部)
「女性の導き伝えあう力を、信じたいです」
ドーナツの、パンとの違いは時間がかかる発酵なしでも作れること。産業革命の進む19世紀のアメリカで、簡易に作れるドーナツは工場で働く女性たちの重要なエネルギー源だったと湯澤規子さんは書いている。
本書は歴史地理学の研究者である湯澤さんが、日米の女性労働者の埋もれていた実像=「わたし」の声の獲得を、彼女たちの日常茶飯を軸に追ったものだ。
アメリカから遅れること100年。近代化を急ぐ明治の日本で、農村から都市部に多くの女工が集められた。
その記録として細井和喜蔵の『女工哀史』が知られるが、書かれたのは搾取される〈無学で幼稚な〉女性たちだ。
その55年後、女工のモデルだった女性の回想録『わたしの「女工哀史」』が刊行。作者は高井としを。細井の内縁の妻として執筆を支えていた。
「社会から忘れ去られようとしていた彼女を発見したのは岐阜県の織物工場で働きながら夜間に学ぶ短大の女子学生グループでした」
この作品が世に出たことで、としをが社会運動に取り組み、短歌や俳句を詠む知的でアクティブな女性だったことが明らかになる。彼女は学生たちにより〈わたし〉を取り戻したのだ。
「記録の存在を、愛知県の織物工場の歴史研究の過程で知りました。メッセージだと思い、驚くと同時にうれしくて。自分の頭の中に置いておくのはもったいないと」。
それが執筆のきっかけだ。
としをは工場の労働争議に登壇し、食事の改善を勝ち取った。また同時期に別の土地でも、女工が工場から外出する権利を得ている。書名の焼き芋は女工たちが獲得した権利と自由のアイコンだ。
〈外出先は工場近くの商店街や市場であり、彼女たちの楽しみは、そこで工場内での食事以外のものを食べることであった。焼き芋はその代表的な食べ物の一つ〉
食べることは生きること。女たちにはそれを理論立てて求める知性と主体性があった。最近までそれが無きものにされてきただけで。
言葉は光、知性は宝石。憧れはバトンとなって現代に。
19世紀の米ニューイングランド地方ローウェルの女工は工場に本を持ち込めない中、新聞の切り抜きや詩を窓に貼っていた。彼女たちはそれを〈ウインドウ・ジェム(窓の宝石)〉と呼び親しんだ。
〈言葉や文章を読みたいという欲求が工場の中に満ち(中略)新聞の切り抜きを「宝石」と呼ぶ感性が存在していた〉
「言葉は光、それを信じて疑わないこの呼び名にはとても共感できる。女性たちの歴史を見てきて思うのは、私たちはバトンを渡し合って生きているということです」
彼女たちは雑誌の発行まで自分たちで実現していく。
本書は『小公女』のバーネット、『若草物語』のオールコット、アメリカに学んだ津田梅子が水脈のように導き合ったことにも触れる。
「簡単に分断しやすい今の世の中だからこそ、こういう伝えあう力を信じたいと思うのです」
『クロワッサン』1110号より