『銭湯』著者、福田節郎さんインタビュー。「価値観を変えるような小説を書きたい」
撮影・青木和義 文・堀越和幸
「価値観を変えるような小説を書きたい」
福田節郎さんは長いこと働きながら小説を書いてきた。
「20年くらいは書いていて、昔は大手出版社の新人賞に出したこともありました。いいところまで行ったことも何度かあるのですが、獲得までには至らなかった」
それでも読者のいない小説を書き続けてきた福田さんにとっての小説とは何なのだろうか?
「趣味と思ったことは一度もなく……趣味なら気軽にやめられるけど……誰に読ませるわけでもなく、もう好きとしか言いようがない」
本作「銭湯」はそんな福田さんのいわゆる習作の中から生まれた小説で、このたび文学ムックのことばと新人賞を受賞した。久しぶりに応募を思い立ったのは、滝口悠生さんや山下澄人さんら、敬愛する作家陣が並ぶ選考委員の顔ぶれに魅力を感じたから。
「こんな人たちに読んでもらえる、と思って。その一方で滝口さんと山下さんの僕に対する評自体はあまり芳しくなかったんですが(笑)」
小説がどこに転がるかは自分でもわからない。
「銭湯」は起承転結の物語ではない。特別なことは何も起きない。飲み屋で出会った知人にあることを頼まれた主人公の俺が、いろいろな人と巡り合い、会話をし、感情が発火し、想念が渦まき、時間が経過していく、そんな小説だ。
シーンは駅の改札から始まり、飲み屋、カラオケ居酒屋、バー、他人の家、遺体安置所、アパートの自室、駅前のセブンイレブン、改札前、そして再び自室と流れていき、本作単行本の帯には“心理的ロードムービーのような作品”とある。
「プロットも何もない状態から最初の一行を書いていつも始めているので、小説がどこに転がっていくのか自分でもわからない」
が、特別なことが起きないところにむしろリアリズムのにおいがする。会話も特徴的だ。エモい、ディスる、ちげーよ、ウケる、など登場人物が繰り出す今どきの言葉の応酬は、街の何気ない会話を録音してテープ起こししたかのよう。
「会話は大切にしていて、自分はかっこいいセリフが苦手で、むしろ小説っぽくない会話で、それを面白く書ければと思っています」
考えてみれば私たちは普段特別なことばかりに心を動かしているのではない。至るところにちりばめられた笑いのツボ。そこはかとなく漂う情緒の揺らぎや哀感。小説を読むとは、生きるとか、生活をするとかと同義ではないか。
選考委員の一人、書評家の豊﨑由美さんは「銭湯」をこう評した。“笑っちゃうこと不可避。なのにグッときちゃうこの不思議!!”。
さて、作家として立ち上がった福田さんだが、これからどんな作品を生み出していくのか?
「自分にとってのいい小説とは、読むことでその人の価値観や人生観を変えてくれるような小説。自分はまだまだだけど、こんな生き方がある、と読者が少しでも思ってくれるならすごくうれしいです」
人は小説に救いを求めている。そして「銭湯」には救いがある。
『クロワッサン』1107号より
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