くらし

住み替えは家族の成長の歴史。大平一枝さんの慣れ親しんだものを手放さない新居。

  • 撮影・徳永 彩(KiKi inc.) 文・一澤ひらり

住み替えは家族の成長の歴史。 新しさと懐かしさの両方が大切です。

大平さんの手前のテーブルは、長年愛用していたちゃぶ台に脚をつけたもの。「夫も私もちゃぶ台を囲んで座っていると腰が痛くなってきてしまい、2年前にリメイクしたんです」

昨年9月に転居した大平一枝さん。移り住んだのは以前の住まいから徒歩10分ほどの一戸建て住宅だ。

「21年前に住人同士で建設組合を作り、各戸自由設計のコーポラティブハウスを建てました。でも幼い息子と娘の足音が階下に迷惑をかけてしまったんですね。
当時のホームビデオを見ると、『飛び跳ねないで! バタバタ走らないで!』って叱ってばかり。限界を感じて5年後に知り合いに貸し、私たち家族は近くの戸建てを借りて暮らすようになりました。
それから子どもの成長とともに借家が手狭になったのと、私の仕事部屋も必要になって、より広い所へと3回引っ越しました。下の娘が高校生になったときに、ようやくコーポラティブハウスに戻ってきたんです」

ここで一生暮らすつもりだったが、6年ほどして雲行きが怪しくなる。大学卒業後すぐに結婚した息子夫婦が訪ねてきても泊まるスペースがない。しかも修繕積立金が倍額以上になってしまい、管理費や駐車場代を含めると月々の費用が小さなマンションを借りられるぐらいに膨らんでいたのだ。

「私たち夫婦はともに自営なので、70代、80代になって毎月払い続けられるかわからない。50代半ばになると老後の不安が現実味を帯びてくるし、孫が遊びに来ても階下への迷惑を心配して、足音を叱るようなことはしたくなかった。そうした思いの積み重なりで、戸建てへの住み替えを決心したんです」

【旧居】2000年に12世帯共同で建てたコーポラティブハウスの住まいは4 LDK75平方メートル。ちゃぶ台を拭く長女の後ろには飾り柱が威風堂々と。

柱もテーブルも本棚も、見慣れた風景は家族の源。

転居先は築22年の3階建てで、昔からよく散歩をしていた緑道沿いにある。

「最初がらんとした殺風景な家に足を踏み入れたとき、夫が『ここに馴染めるんかな』ってボソッと呟いたんです。彼も私も期待感より、これまでの住まいを離れることが寂しかったんですね」

【リビング】旧居がフルリノベーションされることになり、作りつけの書棚が処分の憂き目に。「でも大工さんが壁からきれいに外して、新居のリビングに取りつけてくれました」

しかし、大平さんの住居を購入した不動産業者がフルリノベーションすることになり、ドアや作りつけの棚、食洗機、ガスレンジ、タオルホルダーなど、持ち出せるものは自由に持って行っていいことになった。

\古い飾り柱が入った瞬間に、新居が「我が家」になった。/旧居にあった飾り柱を大工さんが大苦戦しながらも、新居に移設した。 「この柱はずっと家の中心になってくれていて、まさに心柱(しんちゅう)ですね」

「コーポラティブハウスを建てる際に、北陸の古民家の梁をリビングの飾り柱にしたんです。これはさすがに移設は無理かなと思っていたら、大工さんが『できるよ!』って言ってくださった。その飾り柱がリビングに立つと、よそよそしかった新居の空間が自分の家って感じになったんですよね。娘が『やっぱりうちの大黒柱だね』って」

家族の愛着が宿るものが醸し出す空気感。そのおかげで馴染めなかった新居が、家族の風景に溶け込んだ。

【旧居】コンパクトで機能的だったキッチン。造形作家・丸林佐和子さんが製作した棚が取りつけられていたが、新居の台所にもすんなり収まり快適な空間に。

誰かが毎日必ず触るものにも、家族の歴史は積み重なっていく。それを大平さんが実感したと話すのは、明かりをつける革製のスイッチプレート。

「18年前に購入した革もの作家の方が作ったアイテムで、その後4回ぐらい引っ越しましたが、ずっと使い続けてきたんです。家族の手指が革を深い飴色に育んで、目に入るとホッとします」

さらに無理だと思っていた居室のドアも移設できた。

\家族を和ませてくれる、小さいもの、大きなもの。/上・引き戸ばかりだった旧居唯一のドアを夫の趣味部屋に移設。長野県の建材メーカーにオーダーし、素朴なクラフトの風合いが魅力。右・革もの作家の源七さん作のスイッチプレート。「取材させていただいたとき購入したんです。家族が一番触り続けてきたものですね」

だが、この転居で思い入れが強かったのはライフワークとして取材し続けている台所空間だった。理想の台所にする予定だったが、
「実はリビングの床の張り替えと壁の珪藻土に予算を使ってしまい、台所に手が回らなくなってしまったんです。あきらめて旧居で使っていたキッチンラック、ガスレンジ、食洗機などを取りつけました。
そうしたら使い馴染んだ私の台所になってくれたんですよ。全取っ換えしなくてよかった(笑)。年季の入ったものたちが、いかに私を支えてきてくれたかを痛感しています」

\ガスレンジも食洗機も。使い勝手ごと持ってきた。/右・10年ほど前、造形作家の丸林さんにオーダーしたキッチンラック。左・台所のリフォームはしなかったが、旧居のガスレンジや20年間使い続けて、すでに製造中止となっているホシザキの食洗機が見事に収まった。小さな棚は近くの古道具店で。転居で新調したのはこれと洗面ボウルのみ。

結婚以来、引っ越し7回。転居のたびに大事なものだけを手元に残してきた。タオルウォーマーもその一つ。

「家族旅行でスウェーデンのホテルに泊まったときに狭い空間で重宝したのがタオルウォーマーで、すぐ乾くんです。帰国後に買い求めて15年愛用していますが、シンプルな家電なので長持ちしているし、これは手放せないですね」

\思い出のあるタオルウォーマー、洗面台も馴染んだ意匠のものを。/洗面ボウルは以前使用していたものと同じメキシコ製タイル。鏡下のタイルも同じ意匠で。鏡に映っているのがタオルウォーマーで、バスタオルをかけておけばすぐ乾くので大助かり。

慣れ親しんだ家具、道具、かけがえのない家族です。

では今回の引っ越しで、新調してよかったものは?

「洗面ボウルです。娘が、以前愛用していて割れてしまった魚の柄のがいいと言うので、改めてネットで探しました。メキシカンタイルで手描きのアバウトな感じが我が家にぴったり!」

新品でも絵柄が懐かしく、家族4人で使っていた日々が甦るという。

「夫婦2人だけの生活になる日もそう遠くはないけれど、こうした住み替えのときにドアノブ一つでも暮らしの痕跡が伝わるものがあれば、家族の日々が思い起こされて癒やされるし、心の拠り所になってくれるはずです」

【旧居】3年前まで使用していた洗面ボウル。手描きの魚がゆらゆら泳いでいるようで子どもたちのお気に入りだった。
大平一枝

大平一枝 さん (おおだいら・かずえ)

文筆家

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるモノ・コト・価値観をテーマに執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(以上、平凡社)など。

『クロワッサン』1065号より

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