息をするように歌を詠む業平。
〈不思議なものです。言葉が出て参りますと、その言葉により、業平の全身が塗り変えられて参るのです。(中略)歌が薬になり自らをいやしてくれる〉
歌を交わす女性たちの個性も楽しい。体躯の大きい正妻・和琴の方、伊勢神宮の聖職の立場で大胆にも業平の寝所を訪れる括子(やすこ)、そして入内が決まっていながら業平と恋の逃避行に赴く高子(たかいこ)。高子は恋の破綻ののちに国母となり、パトロンとして業平を引き立てる。この高子の女性としての成長が、物語に普遍性と明るさをもたらす。
なぜ業平はこんなにも女性たちの心を捉えたのでしょう?
「女性に対して、言葉を尽くして、まことを尽くした人だから。人間力があり、女が何を喜ぶかという、情のかたちを相手に添わせることができた。権力を盾に女を得るのが当たり前な時代にもかかわらず」
〈私は朝廷の主たる流れとは遠く離れた、歌の世に生きるもの〉
「貴き筋の生まれでありながら権力から離れている人間の、感性の豊かさ。それはのちの、西行や鴨長明や芭蕉、隠遁者と呼ばれる人のもののあはれを感じる力、その系譜につながっていくのです」
〈ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは〉
竜田川のせせらぎもかくやと思われる、たゆまなく緩急の効いた雅な文体が心地よい。ぜひ楽しんで。