青森県のとある田舎村では、ある破廉恥なスキャンダルをきっかけに村長が突然の辞意を表明した。
村議会ではすみやかに次の村長を決めるべく動きだし、その白羽の矢が立てられたのは、村ではまだ若い、四十四歳の仁吾だった。告示前にも後援会が立ち上げられ、新村長は順当に無投票で決まるはずだった。
青森県のとある田舎村では、ある破廉恥なスキャンダルをきっかけに村長が突然の辞意を表明した。
村議会ではすみやかに次の村長を決めるべく動きだし、その白羽の矢が立てられたのは、村ではまだ若い、四十四歳の仁吾だった。告示前にも後援会が立ち上げられ、新村長は順当に無投票で決まるはずだった。
ところが、自らの利権を守るべく、県議の名久井が突然、取り柄も人望もない六十六歳の男、熊倉という対立候補をわざわざぶつけてきたのである……。
「で、村の有力者のほとんどが、手のひらを返したように熊倉擁立に寝返るのですが、物語の骨格は、聞いた実話が元になっています」
ひどい話、と木村友祐さんは憤る。
弱者を見捨てない、絶望的な状況に飲み込まれない。理想的な政治家を仮託して描かれる仁吾に比して、主人公の「おれ」は対照的だ。一度は東京に出たもののその暮らしに馴染めず、弾き出されるように故郷に戻ってきた。父親のお膳立てで形ばかりの村議をやっているが、仕事にやる気は見出せない。おれは「人妻クラブ」という怪しいサークルに通っている。仁吾はおれの幼なじみでもある。
仁吾陣営につくつもりでありながらも圧勝ムードを漂わせる熊倉側が気にならなくもないおれに、ある日決定的なことが起こる。「人妻クラブ」での盗撮動画をネタに、名久井からゆすられるのだ。
「ゆすられて、仁吾の選挙の妨害工作に奔走しますが、この段になって、主人公のおれはにわかに輝きはじめます」
友だちを裏切るのに、なぜか?
「自分はなぜ生きているのか。普段は意識しませんが、本当のところは誰にもわからない。謎のままです。ただ、自分が何の役にも立てていないと思う人は、その謎から離れられず、常に虚無の穴が足元にあると見えるのではないか」
その虚無の穴を埋めるようにおれは叫ぶ。〈おらの、底なしの穴ば、解放していいんだな……?〉
「小さな共同体でもいい、自分の存在が認められて、意味や手応えを感じながら暮らす、というのが人本来の姿かと思うんですが、今の社会構造はそれを許さない。そういう世の中です。仕事でも役割でも、個は全体の断片でしかない」
その断片が、誤った方向へでも何かの使命感に目覚めたとしたら、その充足感は危険を孕みつつ暴走の一途を辿るのではないか。
妨害工作の果てにおれは、仁吾を殺し、仁吾を伝説の人にしようと決意する。その伝説をつくることこそがおれの存在意義であると。
タイトルの『幼な子の聖戦』には2つの意味を込めた。
「幼な子は無垢でもあり、未熟。聖戦は正義感に基づくが、殺戮ともなる。と、相反しています」
物語のクライマックス、選挙の結果とともに相反のなかで揺れるおれの描写がすごい。ラストに至って、読者は思わず、ページを最初からめくることになる。
『クロワッサン』1022号より
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