『どうせカラダが目当てでしょ』著者、王谷 晶さんインタビュー。「他人の体は他人の、自分の体は自分のもの」
撮影・黒川ひろみ(本) 青木和義(著者)
「セックスの話はありますが、恋愛の話は書いていません。『どうせカラダが目当てなんでしょう』という決まり文句がありますよね。ドロドロした色恋沙汰の話かと思ったら、女のカラダについてのパーソナルな話だった、そんなギャップがあると面白いと思ってこのタイトルにしました」
女性として生活していると、きれいかどうか、性的魅力があるかどうか、一方的にジャッジされやすい。
〈気色悪い下心を含んだ褒め言葉や差別的、蔑視的な褒め言葉〉をもらったりもする。そんな女性の体に対して、〈ただ生きてる。そういうカラダを肯定したい〉と王谷晶さんは言う。
〈女子が書いた本だからってホスピタリティに溢れてると思ったら大間違いのコンコンチキだからな〉〈なくてもいいじゃない、生産性なんて。二酸化炭素とうんこくらいしか生み出さなくても、ヒトが生きていくというのはもうそれだけで大事業だ〉など、刺激的な言葉が連なるが、他者の所有物にされてしまいがちな女性の体を解放し、さらには勇気づけてくれる。
「女性の裸の表象に対して、男の人が個人的に楽しむのは別にいいと思います。でも、女が女の肉体を見るときにその異性愛視線を採用しなくてもいい。たとえば、この表紙に関しても、母には『すごく過激な表紙!』って言われましたが、『かわいくて、いいじゃない!』と思います」
「乳、帰る」「ナメナメするとき、されるとき。」など、それぞれのエッセイにはユーモラスなタイトルが並ぶ。
「体の話を真剣に書くと、どうしても暗くなってしまう。だからあえて明るく書こうと、無理やりギャグを入れました」
まずは自分を大事に。自分への愛で、自分を武装。
昨年刊行した短編集『完璧じゃない、あたしたち』では、女性同士の様々な関係性を描き、話題を呼んだ王谷さん。小説の中では多種多様な立場の人々を描いており、自身もレズビアンであることをカムアウト。常に弱い立場にある人のことを慮っている。「本作では、あまり生理の話は書きませんでした。女の人でも生理がない人がいますし、自分は女性だと思っている人、全般に読んでもらいたかったので」
手にまつわるエッセイでは、自分の頭を撫でる、というエピソードが登場する。〈自分で自分を優しく撫でられているうちは、私はまだ大丈夫。そう思いながらちょっとしんどいときとかにひたすら自分を撫でまくっている〉。他者からの視点を意識しすぎることなく、自分で自分を肯定する大切さを王谷さんは説く。「受け身の姿勢だけで生き残っていくことは難しくなってきたと思います。だから、自分への愛で自分を武装する必要がある。自分の体にコンプレックスを感じなくていいし、自虐をしなくていい。誰かと暮らすにしても、一人で生きるにしても、自分の愛し方や構い方はすごく必要ですし、より大事になっていくと思います」
『クロワッサン』1011号より
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