4人きょうだいの長男として生まれ、美しいものが好きだったIKKO少年。姉や妹に囲まれ、祖母が梅を漬けたり、母がお裁縫をしている姿に尊敬の念と憧れを抱いていた。
「台所が好きでした。澄んだ空気、丁寧に使い込んだ調理器具、葱を刻む包丁の音……凜としつつ温かな空間が大好きでした。でも男の子は男らしく、女の子は女らしくが求められた時代。当時は家事といえば女性の仕事で、綺麗でいることも女性の特権でした」
子どもたちの世界でオカマと呼ばれ、口をつけた飲みものを汚いと言われて傷ついたIKKOさんは、次第に心の居場所を失っていった。
「おしゃれが好きな美容師の母を見て育ち、いつも綺麗でいたいと思っていましたが叶いませんでした。男性はキャビンアテンダントになれないなら、せめてひとを綺麗にしたい、私の生きる道はここだと、19歳で美容道を歩み始めたのです」
横浜の『髪結處サワイイ』での修業8年。最初は要領が悪く、褒められることは少なかった。しかしセットの仕上げにチークをサービスしたり、シャンプーの指名を受けるまで腕を磨くなどお客さまに喜んでもらいたい一心で働いた。もちろん自分の肌のことをかまう余裕はなかった。それでも若さともともとの丈夫さもあって肌で困ることはなく20代を突き抜けた。
独立した30代は経営者として弟子を15人抱え、責任感からパニック障害を起こしたことも。気が張っていたため体は気合いでなんとか保っていたものの、流行りの小麦肌でこれまでにない肌荒れなどトラブルが続く。この時期の美容は、落とすことより与えることばかり考え、洗顔をおろそかにして毛穴は根詰まりを起こし吹き出物にも悩まされた。
「40代半ばから、韓国美容に影響を受け、肌をいちからやり直そうと一念発起。肌や成分について学びました。少し肩の力が抜けたのもこの時期です。美容の仕事にはストイックだったのが、TVに出演させていただくようになり、バラエティ番組はリラックスして挑めた。仕事やプライベートで思うようにいかなくても今はゆっくりするときねと気持ちをポジティブ変換して花開いた時期でした。いつもそばにいてくれるマネージャーにはもがく自分を出してしまっていたけれど」