からだ

「コンプレックスから始まった人生だから、人を綺麗にしたい」。IKKOさんが語る、美容人生。

年を重ねるごと、変化していく肌。確かに失われるものも多いけれど、鏡を見つめてため息をつくのはもうやめ。
いくつになっても、自分を愛おしむ気持ちとアップデートされた美容知識があれば、自信の持てる肌は取り戻せます。
「美しい肌は生きる勇気になる」とはIKKOさんの名言。
  • 撮影・富田眞光(人物)、中島慶子(物) IKKOさんメイク・山縣亮介 IKKOさん衣装・金子美恵子 モデルメイク・高場佑子 ヘア・きくち好美 スタイリング・前田みのる モデル・澤田泉美 文・鵜飼香子 イラストレーション・いいあい 協力・GLAD

IKKOさんの、人生を変える美容法。

「心が上がれば肌もウキウキ。」

年齢による肌の変化は、仕方がないのだろうか?という問いにIKKOさんは「諦めたらダメ」と即答した。

「脳と肌って繋がっているの。だから、美肌への第一歩は、心をウキウキさせること。でも、前向きになれって言われてもどうしたらいいかわからないわよね。実は簡単なこと。自分の周りに好きなものを増やして好きなことをするの。そうすると、見える景色が変わってくるから。脳にいいイメージを記憶させると肌細胞まで活性化するのよ」

では、化粧品選びのコツは?

「疲れたらお粥を食べたくなったり、寒いと温かいスープが欲しくなるでしょう。美容も同じ。なりたい肌を具体的に思い浮かべて、必要な化粧品を選ぶこと。毎日のことで肌は変わるから」

自分を愛せる顔になるために。IKKOさんの美容人生とは。

カメラのシャッター音が響くなか、IKKOさんの瞳に強さが宿る。スタジオには一青窈さんがカバーした「他人の関係」が流れていた。布施明さんの「カルチェラタンの雪」に変わると、切なさで瞳と肌がうるみ、指先までしなやかになってゆく。この企画の撮影中、自身を鼓舞するために選んだ曲だ。

「なんでも心の持ちようなの。人生、思いどおりにならなくても乗り越えないといけないときってありますよね。その問題に向き合い、解決策をイメージすれば、よい方向への糸口がつかめる。いい歳の重ね方ができるのよ。美容もそう。シミやしわがあると目を背けたくなるけれど、肌の衰えに面と向かって対話すれば、必要なお手入れが見えてくる。そうすれば肌って素直だから応えてくれるものよ。40代、50代、60代ーーそれぞれの年代でもがけば、次の年代で綺麗になれるの、本当よ」

「優しく、優しく。肌は応えてくれる。」

年齢を重ねた美しい肌は、明るく生きる勇気になる。
「誰かのためではなく、自分のために綺麗になりたいし、読者のみなさんにもそうなってほしい」とIKKOさんは願う。
そんなふうに思えるようになったのは、紆余曲折を重ね、自分なりに心と肌のバランスを整える力を身につけたから。そもそもIKKOさんの美容道は、コンプレックスから始まった。

女性になることは叶わない。ならばひとを綺麗にしたい。

4人きょうだいの長男として生まれ、美しいものが好きだったIKKO少年。姉や妹に囲まれ、祖母が梅を漬けたり、母がお裁縫をしている姿に尊敬の念と憧れを抱いていた。

「台所が好きでした。澄んだ空気、丁寧に使い込んだ調理器具、葱を刻む包丁の音……凜としつつ温かな空間が大好きでした。でも男の子は男らしく、女の子は女らしくが求められた時代。当時は家事といえば女性の仕事で、綺麗でいることも女性の特権でした」

子どもたちの世界でオカマと呼ばれ、口をつけた飲みものを汚いと言われて傷ついたIKKOさんは、次第に心の居場所を失っていった。

「おしゃれが好きな美容師の母を見て育ち、いつも綺麗でいたいと思っていましたが叶いませんでした。男性はキャビンアテンダントになれないなら、せめてひとを綺麗にしたい、私の生きる道はここだと、19歳で美容道を歩み始めたのです」

横浜の『髪結處サワイイ』での修業8年。最初は要領が悪く、褒められることは少なかった。しかしセットの仕上げにチークをサービスしたり、シャンプーの指名を受けるまで腕を磨くなどお客さまに喜んでもらいたい一心で働いた。もちろん自分の肌のことをかまう余裕はなかった。それでも若さともともとの丈夫さもあって肌で困ることはなく20代を突き抜けた。

独立した30代は経営者として弟子を15人抱え、責任感からパニック障害を起こしたことも。気が張っていたため体は気合いでなんとか保っていたものの、流行りの小麦肌でこれまでにない肌荒れなどトラブルが続く。この時期の美容は、落とすことより与えることばかり考え、洗顔をおろそかにして毛穴は根詰まりを起こし吹き出物にも悩まされた。

「40代半ばから、韓国美容に影響を受け、肌をいちからやり直そうと一念発起。肌や成分について学びました。少し肩の力が抜けたのもこの時期です。美容の仕事にはストイックだったのが、TVに出演させていただくようになり、バラエティ番組はリラックスして挑めた。仕事やプライベートで思うようにいかなくても今はゆっくりするときねと気持ちをポジティブ変換して花開いた時期でした。いつもそばにいてくれるマネージャーにはもがく自分を出してしまっていたけれど」

"コンプレックスから始まった人生。 だから、ひとをより美しくする 仕事につきたかった。"

色白で美しいものが好きな少年は、心ない言葉をかけられて傷ついた。母の美容室が拠りどころだった。

オーラが消えた時期も落ち込まなかった理由は。

50歳前後は大切な家族を失った喪失感やパートナーとの別れ、仕事へのストレス太りからこれまでできていたポーズができない、指先まで神経がいかなくなるなど不調に陥っていたという。

「でも不思議とメンタルは落ちなかったんです。どん底のときこそいいものを生む、経験を何に活かそう? そう思える力が残っていました。肌は不調の原因を知り、必要なお手入れをしていたおかげで絶不調にならずに済みました。あわてず目を背けず、冷静に対処することが大切ね」

60代を迎え、今度はホルモンバランスゆえか、肌が過敏になってしまった。おでこが荒れるようになり、ハリも感じられなくなった。

"オールシーズン、肌は乾燥させないこと。自分に合った洗い方を見つけること。今回はそのお手伝いをさせていただきたいと思います。"

「肌はエネルギーのバロメーター。そして肌と脳は繋がっている。だから、私は脳をだまそう、と思ったんです。私の肌はハツラツ、ハツラツ!と言い聞かせると不思議なもので、脳も体も肌にもパワーが宿ってくるのよ。笑えば肌免疫も上がる。人生、やっぱり苦しいよりも楽しいほうがいいもの。お金も時間もかけなくてもいい、とっておきの美容法です」

もうひとつ、自力本願から他力本願に変えていくことも大切だという

「40代までは若さで乗り切れるけれど、やっぱり肌体力は低下します。だから化粧品の力にこれまで以上に頼ることにしました。化粧品との二人三脚、この年齢もよいものだわって思える肌、自分を愛せる肌を一緒に目指してみない? きっと元気になれるから、ね」

心と肌はつながっている IKKOさん肌年表

【20代 】もとの肌の強さにあぐらをかいていた。

『髪結處サワイイ』での下積み時代は、日々激務をこなすことで精いっぱい。肌はもともと透明感があって丈夫だからと、洗顔も保湿も怠っていた。それでも若さで乗り切れていた。

【30代】与えるケア重視。ストレスで肌荒れ。

小麦肌に憧れていた頃。経営者としてのストレスとクリームや美容液などに凝ってクレンジングをおろそかにした結果、肌荒れや吹き出物、シミに大慌て。根本的にケアを見直し。

【40代  】絶不調から肌が回復。

韓国の化粧品の仕事がきっかけで、グローバルケアに開眼。広い視野を持って肌組成や美容成分を猛勉強。肌不調の原因を知り、必要なケアと成分を見極められるようになった。

【50代 】心の体力がついてきた。

家族を失った喪失感や仕事のストレスで気持ちが沈むが、学びの成果から美肌が安定。「ノーメイクでも綺麗でいられるか、ラフでもかっこよく生きているか」を重視するように。

【60代 】思いもよらない肌不調。

ホルモンバランスの関係で肌質が変わり、顔が腫れたり、おでこが乾燥したりとトラブル発生。保湿を重視し、私の肌はハツラツよ、と脳をだまして気持ちよく過ごすことを優先。

 IKKO

IKKO さん (イッコー)

美容家、タレント

1962年、福岡県生まれ。19歳で『髪結處サワイイ』に入社、その後ヘアメイクアーティストとして「女優メイクIKKO」を確立、41歳で表舞台へ。美容家、タレントとして活動しながら、化粧品のプロデュースやアーティストの育成も行う。

『クロワッサン』1088号より

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