『裁判所の正体 』清水 潔さん|本を読んで、会いたくなって。
裁判所が権力に忖度するという事実に驚愕。
撮影・岩本慶三
事件記者として報道現場の第一線に立ち続ける清水潔さんと元裁判官で『絶望の裁判所』等の作者である瀬木比呂志さんとの対談で構成される本書。法服を脱いだ裁判官の暮らしぶり、住まい、収入など、前半こそ穏健だが、裁判所の組織構造、出世の道筋、彼らの判断を左右する要素などが語られると、後半は「裁判所よ、お前もか」と嘆きたくなるような真実が清水さんの畳み掛けるような質問で明らかにされていく。
その様は元裁判官に取材攻勢をかけるジャーナリストといった体だが、そもそもこの対談、清水さんからの働きかけで企画されたという。
「ひとつは、単純な興味ですよね。仕事柄、裁判を傍聴することも多いですが、その裏については知らないことばかりです。裁判官は電車に乗るのか、どんな生活をしてるのかとか。もうひとつはやはり裁判というものの在り方。刑事事件の99.9%が有罪になるのはなぜか、民事裁判の国家賠償請求ではなぜほぼ原告が勝てないのか」
その答えは本書にすべて用意されているが、なかでも清水さんが一番驚いた事実は、「三権分立が形骸化している、ということです」。
近代民主政治の根幹である三権分立は司法、立法、行政が独立し相互間の抑制と均衡により権力の暴走を防ぐシステム。国会に立法権、内閣に行政権が付与され、それらが暴走した場合に違憲立法審査権を持つ裁判所が権力チェック機構として機能するはずなのだが。
「たとえば、『一票の格差』を巡る訴訟で最高裁が下した判決は『違憲状態』。合憲と違憲の間という何とも意味不明なものでした。民主主義国家にとって、有権者の一票の価値が違うなんてことがあっていいはずがありません」
理由を問う清水さんに瀬木さんはその判決を「基本的には国会議員たちの既得権を護るためのものとみるのが、一番自然」と断じる。
「つまり権力への忖度。三権分立がここまで崩壊しつつあるというのは驚きでした。彼らが何に怯え忖度するのか。これは裁判官だった瀬木さんに伺わないと理解できないことでした。しかも、憲法訴訟や原発訴訟等重要な裁判になればなるほど、独立した判決は難しくなる。ぼやっと見えていたものがようやく整理できました。確かに絶望的な状況だけど、それはつまり裁判所の判決が=真実ではないということ。判決に左右されることなく真実をきっちり伝えなければジャーナリズムは成り立たない。これが僕が出した結論です」
新潮社 1,500円
共著・瀬木比呂志