考察『光る君へ』14話 兼家(段田安則)が逝き、道隆(井浦新)の独裁が始まる。道兼(玉置玲央)は絶望、道長(柄本佑)は奮闘
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
道長は上の空
自宅での、まひろ(吉高由里子)との思いがけない再会に道長(柄本佑)は、倫子(黒木華)との会話も上の空である。着替えの手伝いを断ったのは、愛する女に持っていかれた気持を他の女……妻に引き戻されたくないからだ。
倫子に気づかれるって道長。そういうのやめろっての。
「よい風だ」じゃないんだよ。
愛は憎悪に反転
兼家(段田安則)の出家宣言と後継指名。長男・道隆(井浦新)の継承は順当だが、予想通り道兼(玉置玲央)は激昂した。衰え切った兼家は、もうかつてのように道兼をなだめる手管は使えなくなっている。「お前のような人殺しが」心の奥底の本音が、直球でぶつけられてしまった。
そして道兼の口から出た、父への激しい暴言──父上にとって一番の息子になるという叶えられない愛は、憎悪に反転する。
「あれは良かったのう」
夫・兼家が出家し、意識朦朧としてもなお「道綱道綱道綱道綱」……寧子(財前直見)の刷り込み作戦は続く。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
(嘆き悲しみながら寝る、孤独な夜が明けるまでの時間。それがどれだけ長いか、あなたはご存知ないでしょうね)
「あれは良かったのう」
妾の書いた『蜻蛉日記』を、兼家はちゃんと読んでいた。レビュー第5回(記事はこちら)で『蜻蛉日記』について触れたが、寧子の機嫌を取ったり家出した彼女を迎えに行ったりと、ふたりにとっての熱い時間が綴られている。第14話本編放送後のミニコーナー『光る君へ紀行』では、藤原兼家と藤原道綱母が宇治で詠み交わした歌が紹介された。
藤原道綱母
人心うぢの網代にたまさかによるひをだにも訪ねけるかな
(他の女へと移りがちな、あなたのお心が辛いのです。たまに網代にかかる氷魚、ひお見物にでも、この宇治を訪ねていらしたんでしょう)
藤原兼家
帰るひを心のうちにかぞえつつ誰によりてか網代をもとふ
(お前が帰る日を心待ちに数えていたんだよ。お前以外の誰を求めて網代を訪ねるものか。迎えに来たに決まってるじゃないか)
これらを振り返り「輝かしき日々であった」とまで言う兼家。
『蜻蛉日記』という一大文芸作品を書き上げた作家、寧子にとって、愛する人が作品を読んだ上で認めてくれるのはとても嬉しいことじゃないですか……しかも今際の際に妾から送られた歌を諳んじて、夫婦としての時間ごと愛していたのだと告げるだなんて、最高の別れではないか。
『光る君へ』における呪術
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が星を読む。今宵、星は落ちる。次なる者も長くはあるまいという不吉な予言。
熱心に呪詛に励む明子(瀧内公美)に襲い掛かる急な不調、絵に描いたような人を呪わば穴ふたつ。というよりも、親の因果が子に報い……お腹の子は可哀想であった。
しかしこの作品は、呪術が本当に効いているのか、不思議な力は現実に作用しているのか。そうであるかもしれないしそうではないかもしれない……と描いている。
呪いが成就したように見えるが、もともと兼家は老いて弱っていた。明子に呪いの報いが降りかかったように見えるが、妊娠初期に根を詰め、無理をしてしまったことが原因とも考えられる。曖昧なグラデーションが興味深い。
そして巨星堕つ、兼家の臨終。権力闘争を戦い抜いた男も、最期の瞬間は穏やかに旅立つか。と思いきや……。
欠けたる月を見上げて、「あそこにまだ、儂の思い通りにならぬものがあった」とでもいうような、この世の全てを掌中に握ろうとした男の業が湧き上がってくる様は圧巻であった。この表情がのちに「望月の欠けたることもなしと思えば」という、道長の世に繋がってゆくのではないだろうか。
放送初回から名優・段田安則の底力を毎週実感し、視聴者として幸せだった。拍手で彼の退場を見送ろう。
いと、ガッツポーズ
兼家の訃報にガッツポーズする、いと(信川清順)と、涙をそっと流す為時(岸谷五朗)。
「嬉しくても悲しくても涙は出るし、嬉しいか悲しいかわからなくとも涙は出るのよ」
というまひろの言葉に、きょとん……とする、いと。まったくもって彼女は平凡な人間である。勇気溢れる、才能溢れる、あるいは政治的歴史的に名を残した者ばかりではなく、さまざまな人物がいるのが大河ドラマである。だからこそ、いとの存在は好ましい。
そして、宣孝(佐々木蔵之介)が御嶽精進の御利益か、筑前守に!
「いよいよわしも国司になるぞ」と喜ぶ宣孝。国司とは、地方の行政を担うために朝廷から派遣される役人のこと。花山帝(本郷奏多)時代には六位蔵人であったので、従五位下の筑前守は確かに昇進だ。
佐々木蔵之介は『麒麟がくる』(2020年)羽柴秀吉以来、大河ドラマで2度目の筑前守就任である。
妻それぞれに辛い道
道長の見舞いを受け、労わられて、夫の背中を見送る明子の顔に、先週とは違う感情が浮かんでいる。恨みが晴らせるなら、我が身と心はどうなってもいいとまで言っていた彼女だ。ましてや、憎い兼家の血を引いた子など……くらいには考えていたのではないだろうか。しかし、いざ流れてしまうと予想外に辛く、そして、思いがけず道長の優しさに触れて、明子自身、自分の思いに戸惑っているように見えた。
だが、このあとの場面での倫子の台詞。
「明子様はお若いから、これから御子はいくらでもできましょう。私もせいぜい気張らねば」
夫を愛してしまったら、妻それぞれに辛い道が待っている。嫉妬と意地の張り合い、子が生まれたら息子、娘につけられる優劣。ひとりの男を巡る女たちの心は、けして穏やかではいられない。
大丈夫か道兼、いよいよ
歴史物語『大鏡』に記されたように、父・兼家の喪中、遊興にふける道兼。
道兼の妻・繁子(山田キヌヲ)から離婚の申し出があり、その前にちゃんと娘を逃がしているあたりが、しっかりした女性だと思わせる。彼女──藤原繁子は歴史にその名を残した人物である。この物語の中で、これからも登場するだろうか。
しかし、明子が道長に「喪に服していらっしゃるのに」といい、繁子が道兼に「お父上の喪にも服さぬあなたには愛想が尽きました」と告げ、公任(町田啓太)と斉信(金田哲)、行成(渡辺大知)が「実の父上の喪にも服さぬ道兼さまはおかしい」と話しあうなど、台詞でこの期間は服喪中だと何度も強調されているのに、衣装や調度でそれが表現されなかったのは、やや残念であった。
『源氏物語』では登場人物たちが鈍色、黒色など、喪の色を身にまとう場面が幾度も描かれ、そして「華やかな装いよりもなまめかしい」とも書かれている。井浦新、柄本佑のそうした装いを見たかったのと同時に、喪服を身に着けずに遊女を招き、遊び呆けている道兼の異常さが、映像としてわかりやすかったと思うのだが、予算上の都合だろうか。
致し方ないので、想像して楽しむこととする。
荒み切った道兼は、父が死んだという以上に、父に見捨てられたという絶望が深いのだ。このレビューで毎週のように「大丈夫か道兼」と書いてきたが、いよいよ大丈夫ではなくなってきた。
キラキラ貴公子伊周、腹をつままれる実資
道隆の長男・伊周(これちか/三浦翔平)の出木杉君ぶり。顔よし血よし頭よし。キラキラした貴公子ぶりだが、父上母上の言うとおり、全て「お任せいたします」でよいのか……権力を手に入れるためにはどんなえげつないことでもした、なりふり構わなかった兼家から家督を受け継いだ道隆、それをまた受け取る嫡男として、ここまで上品でお行儀がよくて両親の言うがままなお坊ちゃんで大丈夫なのかと、思わせるのが上手い。
実資(秋山竜次)と新しい妻・婉子(つやこ/真凛)女王。為平親王の姫で母は源高明の娘なので、道長の妻・明子の姪にあたり、花山帝(本郷奏多)の女御であった女性だ。高貴なお血筋だが、夫の腹を愛でてつまんだり褥(しとね)に誘ったり、かなり積極的なお人柄のようだ。「このおなかの張り具合……」と、ふくよかな男性がお好みのようだから、スラッと細身の花山帝では女御としてもつまらなかったかもしれない。忯子(よしこ/井上咲楽)ひとすじの花山帝では他の女御が悲しい思いをしただろうと考えていたので、ちょっと安心する演出である。
それにしても、妻が変わってもとにかく実資に日記を書かせようとする。なんでや。
ききょう再登場!
ききょう(ファーストサマーウイカ)再登場! 待ってました!
まひろの無料文字教室に対して「なんと物好きな」、なにしてんのアンタ、という表情に噴き出した。
「あのような姫たちが私は一番嫌いでございます」
「退屈な暮らしに、そうと気づく力もない姫たち」
ズッバズバ言うなあ、さすが未来の清少納言。ききょうの台詞すべてを書き出してしまいたいくらい、どれも気持ちがよい。ファーストサマーウイカの表情や仕草がキュートで、見入ってしまう。
「私は私のために生きたいと思っております!」
オスマントルコ軍楽のような劇伴に大笑いしつつ「宮仕えできる位の家の娘なら、一度は宮廷に仕えて世間に触れ、見聞を深めるべきだ」という清少納言の考えは、実際に『枕草子』に書かれていることを思い出していた。
このとき、まひろがききょうの言葉をどう受け止めたかは、まだわからない。衝撃を受けたのは確かだろう。
『紫式部日記』で紫式部が清少納言を厳しく批判しているので、ふたりはライバル関係であるとか紫式部が清少納言を敵視していたとか、時に面白おかしく語られたりする。しかし、紫式部と清少納言がそれぞれ置かれた立場……政治的事情から、そう書かざるを得なかったのではと想像している。個人的な思いは、また別だったのではないかと。
その政治的な事情は、物語の中でこれからしっかりと描かれる。
ふたりの道のりは遠い
まひろに字を教わった、たね(竹澤咲子)は両親に名前を書いて見せたのだろう、そして父の逆鱗に触れたのだろう。それを思うと胸が痛む。
娘に文字なんか教えるなという、たねの父。女に学問は必要ないという意味かと思ったが、
「うちの子は一生畑を耕して死ぬんだ」「俺らはあんたらお偉方のなぐさみもんじゃねえ」
という台詞で、これはちがう、と改めた。
たねが息子であっても同じことが起こっただろう。最初から知識などなければ、この世に越えられない壁があると知ったとき失望することもない。余計なことを教えてくれたばかりに、うちの娘は悲しい思いをするのだと。それを百姓である父は言っている。
実際、道長が粘り強く検非違使庁の改革案を出し「身分の高い者だけが人ではありません」と訴えても、道隆に「下々のことは下々に任せておけばよい」と、はねつけられる。
この国を実質統べる者は、下々の暮らしがどうなろうと関心がない。
お互いの知らないところでずっと、まひろと道長はそれぞれ世を変えようと、自らの使命を果たそうとしている。が、道のりは遠い。
「ありえぬ」の当然
道隆が定子(高畑充希)を中宮にするという。中宮は当時、円融院(坂東巳之助)の后・遵子(のぶこ/中村静香)がいた(第2話(記事はこちら)で、円融帝に「そなたのほうがもっと綺麗であるぞ」と囁かれていた彼女である。ご記憶だろうか)。道隆の弁では、遵子を皇后にし、定子を中宮とするということだが、中宮とはもとは皇后の居室を指す言葉で、皇后と同義である。
道隆の狙いは、娘・定子を数多いる女御のひとりではなく、天皇の第一の后とすることだ。
第7話(記事はこちら)で、亡き忯子に皇后の称号をおくりたいという花山帝の願いを聞き、陣定では大揉めに揉めていた。その時にも、義懐(よしちか/高橋光臣)が遵子は中宮だから皇后の座は空いていると述べ、先例がないと却下されていたのである。当時は亡くなった女性を皇后にするか否か、帝の望みを叶えるか否かだけであったが、今回は皇后と中宮、二后を並び立たせる……定子を中宮にすることは即ち、これまでのルールを破ってまで道隆を后の父とすることであったから、公卿たちが揃って「ありえぬ」と首を横に振るのも当然であった。
しかし「朕は定子を中宮とする」という一条帝(柊木陽太)のひとこえで、陣定の決定はあっさり覆された。
ナレーションのとおり、道隆の独裁が始まったのだ。
次週予告。「おごれる者たち」のサブタイトルに平家物語──同じ平安時代大河ドラマ『平清盛』(2012年)を連想する。紫式部ゆかりの石山寺に、まひろが!兼家亡き後も、寧子に出番あり。道兼、公任に圧力? 盛り上がる為時一家、もしや惟規(高杉真宙)が婿入りか。おお、競べ弓やるんですね!ききょうに衝撃の出会い。
第15話も楽しみですね。
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。