戦争を経験した祖母が導いてくれる、シンプルな答え【助け合って。介護のある日常】
撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子
「いつも祖母の何げない言葉が、 シンプルな答えへと導いてくれた。 」小川千尋さん
前回記事はこちら⇒認知症になった母と祖母、先の見えない介護に光が見えた時
「バービさん、今日はお天気いいね。お散歩でも行く?」
千尋さんが祖母・華樹(はなき)さんにやさしく声をかける。バービさんとは、華樹さんの家族間での愛称だ。〝おばあちゃん〟と呼ばれるのが嫌で、バーバから派生したあだ名だそう。
千尋さんは幼少期から父と離れ、祖父母と母と弟の5人で暮らしてきた。
「20歳頃までは、父親がいないシングル家庭に引け目を感じて生きてきました。自分の力で美術大学に合格し自信がついてからはフラットになれた。ネガティブな要因は許すことでしか報われないなって思えるようにもなりました。今振り返ると、祖父母と一緒に暮らせたのがよかった。とくに祖母の影響はとても大きかったです」
5人家族の大黒柱として、95歳までしっかり者だった華樹さんは、コロナ禍でアルツハイマー型認知症になった。太ももの筋肉も弱ってきたので、現在はショートステイに通い機能訓練を受けている。
その少し前に、65歳の母親のひとみさんには前頭側頭型認知症に近いという診断。それからというもの、ひとみさんと千尋さんは親子ですっかり立場が変わってしまったという。
「母は病気で我慢が利かなくなっているので、正しくダメなことを伝えても通じない。どうしてわかってもらえないの?と言い合いになることもありましたが、今は社会通念的にはダメなことでも家族としてはOKみたいなルールを作ることが大事なのかな、って」
そんなふうに思えるようになったのは、〝人は人、我は我なり〟とか、〝屋根があってごはんが食べられるんだからいいじゃない〟と、ことあるごとに祖母がポツリと発する名言めいた言葉が心に残っていたから。
「戦争を経験した祖母に言われたら何も言えないなって。いろいろあっても今日もお天気だからいっかあって、祖母はいつもシンプルなところに戻してくれるんです。ひとつ壁にぶつかっても、目線を変えるだけで面白くもなるというか。
例えばあるとき、祖母と母を連れて祖父のお墓があるお寺に行ったときに、ちょっと背中が痒いと言って母が突然、背中からにゅっと孫の手を取り出したんです。隣の人は目を丸くしてびっくりしていましたが、私は笑いを堪えるのに必死(笑)。自分が物事を変えることはできないけれど、自分が変わることで少し緩やかになって行き詰まらずにすむっていうのは、祖母と美術から学んだことかなって思います」
心の置き所が見えてきた千尋さん。最近は、絵の力を介護に活かせないかと考えるようになった。(続く)
『クロワッサン』1106号より