55歳で養蜂を始め下北沢産の天然ハチミツを商品化した、杉山直子さんの物語。
アラウンド60歳で生きがいと収入を得はじめた杉山直子さんの物語。
撮影・三東サイ 文・一澤ひらり
下北沢産の天然ハチミツを、若い世代と一緒に作る喜び。
MY STORY
●幼少期
茶道家の祖母や家族の影響でおいしいものが大好きに育つ。
●大人になって
子育て中は翻訳家と料理研究家の二足のわらじで活躍。
●55歳
料理の仕事で出会ったミュージシャンから養蜂の話を聞き、鎌倉で試験的に養蜂を始める。
●56歳
埼玉県の養蜂家に弟子入り。並行して会社を立ち上げる。
●57歳
シモキタ園藝部に所属し、下北沢で養蜂を始める。翌年、初めて7kgのハチミツが採れ、シモキタハニーとして商品化。
●59歳
世田谷区の特産品に認定。
若者に人気の個性的な街、下北沢でハチミツが採れる! その天然非加熱の希少なハチミツ〈シモキタハニー〉の販売が昨年から始まった。この事業を立ち上げたのが、ハニージェイプロジェクト代表の杉山直子さん。
「2021年の冬、下北沢のビル屋上にセイヨウミツバチの巣箱7箱を置いて養蜂がスタートしました。去年4月に初めてkg採蜜し、商品化した蜜は桜の香りがする味わいで感動しました」
6月は柑橘系、夏は様々なハーブの香りなど、地元の花々の恩恵を感じられる百花蜜。今は2カ所のビル屋上で巣箱10箱、40万匹以上ものセイヨウミツバチを飼い育てている。
相棒はロックバンドのギタリスト。まずは埼玉の養蜂家に弟子入りして。
杉山さんが養蜂を始めたきっかけはロックバンドThinking Dogsのギタリスト、服部潤さんと知り合ったことから。
「私が翻訳業の傍らに行っていた出張料理の仕事の際に、彼らの打ち上げで料理を作ったことが始まりでした。潤さんから、実家でニホンミツバチを飼っているけれど、もっと近い所で養蜂をしたいと相談されたんです」
ミツバチの話を聞くたびにどんどん興味が増し、杉山さんは鎌倉で巣箱を置ける場所を確保し、ひとまずふたりでの養蜂を開始した。
「初めて採れたハチミツのあまりのおいしさに、この自然の恵みを多くの人たちに伝えたいと思いました。でもニホンミツバチはなかなか収量が少ない。セイヨウミツバチなら管理は大変になるけれど、収量が増えて商品化は夢じゃないかも、と考えました」
そこでふたりは埼玉県の養蜂家に弟子入り。2年近くセイヨウミツバチの養蜂を学び、杉山さんは自分の貯蓄150万円を資本金にして、ハニージェイプロジェクトを設立した。
「無謀といえば無謀。でも、先に体が動いていました。同時に、都市養蜂が可能な場所を探し始めたんです」
下北沢で生まれ育った杉山さん、これぞ灯台下暗し。道でばったり出会った小中学校の同級生に事情を話すと、シモキタ園藝部の存在を教えられた。
「下北沢駅周辺、小田急線の線路跡地に生まれたのが下北線路街で、自然豊かな広場や遊歩道が出現します。ここの植栽管理を行っているのが、街の植物を守り育てていくことを目的としたシモキタ園藝部。即入部しました」
都会だからよいハチミツが採れる。ミツバチが街の緑も豊かにする。
ミツバチは半径2kmの範囲から蜜を集める。商業地の下北沢なら農薬の心配もなく、ミツバチの花粉媒介によって緑が豊かになり、空気もきれいに。養蜂によるエコ循環を語る杉山さんの熱意が伝わり、シモキタ園藝部の養蜂チームとして活動できることになった。
「ビルの屋上を使わせていただき、1年半余りで採蜜量も増え、シモキタハニーの売り上げも伸びてきました。全てのご縁に感謝するばかりです。現在私と3名の若手スタッフで、皆、兼業しつつ作業を行っていますが、彼らに未来を託すためにも、長く続けられるよう会社に体力をつけておくことも私の仕事ですね。ミツバチが地域と人をつないでくれて、環境にも貢献してくれている。うれしい限りです」
『クロワッサン』1096号より