詩人・折口信夫に憧れ、大学進学のため上京したのが’80年のバブル前夜。
若者を顧客に迎えはじめた当時の渋谷、青山、六本木のブティック、カフェバー、ディスコ、ビストロなどに出入りしては、数々の恋の愉楽に身をゆだねる一方、歌舞伎座や新橋演舞場で明治生まれの名人たちの至芸に耽溺して、銀座界隈の御年寄に可愛がられるなど、夢の中で暮らすような学生生活でした。
大学を卒業して、コネで入社したのは、ゆくりなくも、初代水谷八重子に会いたくて、小学5年生の時に熊本から独りで飛行機に乗り、初めて上京して見物した新橋演舞場であるのは運命と申し上げるほかはなし。
新橋花街を母体として創設された劇場で、先々代の社長に物の言いよう、和装洋装の心得、料理の褒め方、美術の鑑賞ではなく買い方と飾り方、室礼の約束ごと、役者や芸者や銀座のクラブのママのよしあしなど、生きて行く上でまごつかぬように仕込んでくれたのは有り難いこと。ただ、惜しいことには、そうした贅沢な暮らしを送るだけの金を稼ぐことは、教えてはくださいませんでした。
しかし、中村歌右衛門、坂東玉三郎、藤山寛美、杉村春子、山田五十鈴、京マチ子、山本富士子、武原はん、まり千代など、会いたいと念じていた人たちには、すべて会うことができたのも東京のおかげ。
少年の頃から景仰して、未だに会うことの叶わないのは、ユーミンだけであるのだから。ただし、この方に会うのはちょっと怖いので、夢は夢のままにするつもり。