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【後編】お金を使わず豊かな生活。ヒントは谷の暮らしにあり。

天然のプラネタリウムのような美しい星空と森林セラピーで知られる自然豊かな町、島根県の飯南町。この山あいにある、谷地区に暮らす人々に話を聞いた。
  • 撮影・三東サイ   

全国的な傾向のようだけれど、谷にも近年、猪が増えている。農作物を荒らすので、害獣とされて駆除の対象になる。多くの人が農業を営み、兼業農家が多い谷でも猪の被害は深刻だ。谷自治振興会の澤田定成さん(65歳)が箱わなを設置すると聞いて、手伝いにいった。その晩は澤田さんの家に泊まる。

「この穴はツキノワグマの錯誤捕獲を防止する脱出孔なんですよ」

猪を捕獲する箱わなでツキノワグマを獲ることは禁じられているそうだ。箱わなは金網を組み合わせて作る大きな長方体のわなだが、天井に人が這い出せそうな穴が空いている。そこからツキノワグマが逃げられるようにしてある。他の面は金網(エサを食べようとすると戸が下りる仕掛け)なので、猪が箱わなにかかるともう逃げられない。

澤田さんの家は井戸谷という谷の奥にある。谷八幡宮の宮司、三東さんの家と隣同士で、中間の土地には手作りの箱わなが何個も仕掛けてある。

「三東さんの箱わなにマミがかかったので今夜はマミ鍋です」

箱わな を組み立てる澤田さん。エサはヌカ に塩と砂糖を混ぜたもの。
箱わなで捕まえた猪をローストに して食べる。薪にするのは間伐材 の栗の木。着火剤はその辺に落ち ている杉の葉だ。

澤田さんがうれしそうに笑う。マミとはアナグマのこと。脂が乗って猪よりもおいしい。マミ鍋はもちろん、焼きマミも脂が甘くておいしい。

「猪の燻製もどうぞ。前に捕れた猪を庭で燻製にしました。猪は毎日捕れるわけじゃないけれど、1頭で肉が何十㎏も取れるので食べきれなくて、ご近所にも配ります。冷凍保存しておけば、当分は肉を買わなくてもいい(笑)」

澤田さんは庭で使っている燻製器も手作りした。三東さんが谷八幡宮に戻ってくるとき、家の床を張り替える必要があると聞いてすぐ板を用意して張り替えたのも澤田さん。どうしてそんなに何でも自分で作ってしまえるのか、マミを食べながら質問した。

「子どもの頃から山に入って遊んでいるから、見よう見まねですよ。学校が終わると炭焼き小屋で親の手伝いをしたり、宿題をやったり、何か見つけて遊んだりしていましたから。谷では昭和30年代の子どもは大体そうでしたよ。だから、大概のことは見よう見まねでできるようになりました」

見よう見まねというのは、今の子どもの生活から失われている。節約のつもりでやっていることではないかもしれないが、自分たちで何でもできてしまうから、専門の業者にお金を払って来てもらうような機会は少ない。

水が豊かな谷。

澤田さんが長年にわたり会長を務めてきた谷自治振興会は、平成23年度に「過疎地域自立活性化優良事例表彰」の総務大臣賞を受賞した。廃校になった谷小学校を「谷笑楽校(しょうがっこう)」として地域の交流の場にしたことや、10人乗りのワゴン車「せせらぎ号」を設けて高齢者の移動手段として予約制で動かしていること、独居世帯などの除雪作業を除雪機で支援する「スノーレンジャー」の活動などが評価されたのだ。

「猪が捕れましたよ。大きいの。60㎏ぐらいあるかもしれない」

翌朝、7時に目を覚ますと澤田さんがすでに山を一回りして箱わなの一つに大きな猪が捕えられているのを確認してきた後だった。

「音がしたんですよ。これは猪がわなに掛かったと思って見てきた(笑)」

やはり山で生まれ育った人は感覚が研ぎ澄まされているようだ。朝食は山や畑で採れたものばかり。塩漬けの香茸、白菜の漬物、なめこの味噌汁、猪の燻製に焼きマミ……マミ肉は冷めても脂が固まらない。牛や豚と違って融点が低いから特別おいしいのかも。

朝食後、箱わなにかかった猪に電流を流してとどめを刺し、小川に運んで血抜きする澤田さんの働きぶりを見学。肝と心臓はごちそうなので最初に取り出して冷水にさらす。この猪は三東さんの敷地で捕れたから、肝と心臓は三東さんが受け取った。三東さんはお昼どき、この肝と心臓をラグーのようにパスタの具にして食べさせてくれた。

「今朝まで生きていた猪だからうまいでしょう。家の山で生まれ育って自分と同じ水を飲み、同じ山の幸を食べてきた猪だから、他の肉と違って体にしみるというか、自分の血となり肉となり同化する実感があるんですよね。兄弟の命をいただいているような、何とも言えない霊的な感覚があります」

パスタを食べながら三東さんが話すのを聞いて、昔の人は地産地消が今より徹底していたから、ありがたい命の恵みをいただいて生きる感覚を毎日抱いていたかもしれないと思った。

朝夕、谷八幡宮の日供祭についていき、水と酒と米と塩を供えたり下げたり祝詞をあげるのを見ていた。

「毎日こうやって同じようにお日供をして掃除をすると、秋は落ち葉が舞い込んでいたり、冬は足元が冷たかったり、春は花びらが落ちていたり、夏は虫が死んでいたりするのを目にしながら箒を使うことで日々の変化に敏感になって、季節の移り変わりや生命のサイクルを感じるようになります。田舎に住んだら普通の日々のかけがえなさを強く感じるようになりますよ」

『クロワッサン』942号より

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