戦災を免れたおかげで美しい町並みは残ったものの、封建的な男社会までもが温存され、因襲を引きずる京都という街。そんな場所で女が生きる手段はそう多くはなく、君蝶は常に怒りを湛えています。
怒りとは、自我そのもの。自我を持った女は、あらゆる旧弊と衝突し、闘うことになります。そして女の自我を、女の武器でもある「言葉」で表現するとき、京マチ子最大の魅力である、立て板に水のセリフ回しと、ピシャリと歯切れのいい口吻が、これ以上なく最高にキマるのです。
性的魅力を武器に金にがめつく生き、ほうぼうで恨みを買いながら、清々しいまでに罪悪感の欠片もない。そんな気が強い女を演じて、京マチ子の右に出る者なし! しかし、男の論理で作られた物語は、いつも京マチ子に罰を与えようとします。
欲しいものを手に入れ、思いどおりに生きたい女と、それを全力で阻んでくる、男の作った社会。映画の中の京マチ子は、いつもそんな運命と、闘いつづけていました。