『陽光』著者、松嶋 圭さんインタビュー。 「どういう記憶で、人は人生を紡ぐのか」
撮影・黒川ひろみ
松嶋圭さんは精神科医である。精神科医であるのに、ある日書いた短編が熊本の文芸誌『アルテリ』に掲載された。
「昔から本は好きでした。好きだからこそ畏怖の念のようなものもあり、自分で書くなどとは思いもよりませんでした」
が、10年近く前のタイ旅行が松嶋さんの背中を押した。いい感じの本屋があると思い、覗いたら、そこの店主が以前から愛読していたタイの作家、プラープダー・ユン氏の知り合いとわかった。そして、翌日には氏のオフィスへ招かれることになり、打ち解けて話すうちに“君は書かないの?”と問われた。
「天啓だと思ってしまった」
短編「陽光」は、松嶋さんの祖父母の家があった長崎県壱岐島(いきのしま)が舞台である。小学生のときに毎夏休み、2つ上の兄と遊びにいった思い出を下敷きに物語は展開される。波間にゆれる光、目が眩むほどの白い砂、林から届く蝉の声。そうした豊かな自然の美しさにあって、医者家系が続く祖父母の家督に対する執着や、遠い記憶にある周辺風景が微妙な翳りを落とす。
話を聞き回っても、 本にできるとは限らない。
文芸誌に掲載された「陽光」はすぐに地元の日本近代史家・渡辺京二氏の目にとまった。そして、
「祖父母の思い出だけで小説を終えるのではなく、島の高齢者の方を回ってお話を聞かせてもらい、それを聞き書きして集めてみなさい、と勧められたのです」
医師の仕事のない週末にインタビューを始めたはいいが、もちろんそれが本になるということはその時点で決まっていない。それでも長く島に住んだ人々は快く引き受けてくれる。戦後、台湾から引き上げてきた老女の書道にまつわる大切な思い出、フィリピンからやってきた女性の淡い恋の記憶、厳しい軍人の父を持つ少女の、強く美しく生きる様……。
「当初は何人かに話を聞かせてもらったら、その何割かの面白いところだけをすくって、と考えていましたが、途中からすっかり気持ちが変わりました。これは取捨選択する類いのものではないと」
精神科医という職業柄、いつもならまずその人の生活のアウトラインを掴もうとするのが常だけれど、自分を語り始める島の人々は、ある種、偏った記憶のところからいきなり語りだす。
「それに引き込まれてしまいました。彼らがしているのは、自分の一生をどういう記憶で紡ぐかということであり、それこそが、その人の人生の核であり、鍵ではないかと思ったのです」
〈話を聞くということ。それはつまるところ、共鳴ではないか〉
ペンとレコーダーを片手に、松嶋さんは人に会い続けた。
「1年くらいかけて15人にお話を聞きましたが、最終的にはフィクションの体裁をとりながらも、すべての話を一冊にまとめられたことが何よりもうれしかった」
3世代、4世代前にまで遡る人々の追想、そこにある変わらぬ自然。そのコントラストがどこかもの悲しく、美しい。
『クロワッサン』995号より
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