「狩野派の絵画に学んだようで、彼らの絵手本帳と合う絵も残っています。でも絵が上手だと、見る人はそこに注目して、絵が示す禅の教えまでたどり着けない。これはいけないと、画風を変えたのではないでしょうか」と出光美術館学芸員の八波浩一さん。
隠居後の仙厓さんは禅画制作をしつつ、名所旧跡への旅行、地元博多の祭りや催し物の見物、茶をたしなみ、古器物を蒐集し……と超多趣味。80歳を過ぎても、地元の浜にトドが打ち上げられたと聞くと、見に行き画を残すほどの好奇心とバイタリティーの持ち主だ。見る者が思わず微笑む、月を指す布袋様と幼子の画で禅の悟りを説く《指月布袋画賛(しげつほていがさん)》や、○と△と□を組み合わせただけの最も難解とされる《○△□》などの代表作をはじめ、何千といわれる膨大な作品を残した。
出光氏最後の蒐集作である、2羽の鶴が伸びやかに描かれた《双鶴画賛》では、「鶴ハ千年 亀ハ萬年」の諺に続き「我れハ天年」と書き添えて、長寿を求めずに、ただ天から預かった命に感謝を示している。
大輪の牡丹に「植えてみなさい。花を咲かせない土地などないのだ」という意味の言葉を添えた、最後の作品《牡丹画賛》も必見。
「ちょっとしたことでつまずいていては後が続きません。それを乗り越えて挑戦してもらいたいというのが、仙厓さんが最後にいちばん伝えたかったメッセージだと思います」(八波さん)
限りある命だからこそ存分に生きぬくことを自らの人生で示した仙厓さん。「かわいい禅画」にほっこりしつつ、生きる元気ももらえそうだ。