【ノンフィクション編】書店員に聞く、長く売り続けたい本。
撮影・森山祐子 文・屋敷直子
[ノンフィクション]事実は小説より奇なりーー自分の中の常識をくつがえす読書体験。
吉祥寺駅前から続くアーケード街の一角にある『ブックスルーエ』。雑誌や新刊が並ぶ1階、2階には文庫や児童書、3階はコミックと、どの階にも本好きの熱気が渦巻いている。花本武さんは、おすすめの本のことを語りだすと止まらない。個人的にも興味をひかれるという、ノンフィクションの分野について聞いた。
バックパッカーのバイブルといわれている『深夜特急』。沢木耕太郎の紀行小説で、ご多分にもれず10代のころに読んで海外放浪の旅に憧れました。描かれているのは香港からロンドンを目指す旅で、最初のころ、マカオでギャンブルにはまるんですね。絶対勝てる法則を見つけたと言いだすところがあって、そんなものあるわけがないので、金を失うことになるんですが、この部分が好きです。格好悪いところも含めて、この旅のことを全部書くぞという覚悟が感じられる。僕はあまり再読はしないほうですが、ずっと手元に置いておきたい。永遠の青春の書として、店で売っていきたい本です。
『聴衆の誕生』は、この表紙だとなかなか手にとらないように思います。僕も他店で開催されていたフェアのポップにひかれて読んでみたんですが、これがおもしろいんですよ。音楽がどのように聴かれ、浸透していったかを追究する内容で、その問いかけ自体にすごく知的興奮を覚えるものでした。一般的な認識では、クラシックは静かに聴いて楽しむものですが、その認識がゆらぐ感じがあります。社会のあり方や世の中の構造に興味があるなら、この本は楽しめると思います。
次は、1989年に東京都足立区綾瀬で起こった事件を追った『女子高生コンクリート詰め殺人事件』。実際に起こった事件を題材としたノンフィクションは数多くあって、一般に流れている報道とは違う視点で、事件の本質や真実を見極めようとする点で大事だと思っています。これはとくに、この事件を書かねばならないという著者の気迫がすごい。現場主義だからこその臨場感、ときに冷静さを失うあたりが書き手としての業を感じます。以降、陰惨な事件は続いているわけで、目をそらしてはいけない人間の残酷な部分をとらえていると思います。
目をそらしてはいけないという意味では、『池袋・母子餓死日記 覚え書き(全文)』。これは事件ノンフィクションの極北といえます。1996年に豊島区池袋のアパートの一室で、77歳の女性と、41歳の長男が餓死しているのが発見された事件がありました。その当事者の女性が死の直前まで書き残した日記です。この本は、店のレジ横、『文藝春秋』や『世界』がある棚にそっと忍ばせてます。これは僕のエゴですが、いろいろな思想をもつ人が見る棚に、この本があることに意味があると思っています。
最近、一番おもしろいノンフィクションとして自信をもってすすめるのは『バベる! 自力でビルを建てる男』。港区三田に自分の家を自分で建設中の人の話です。著者の岡啓輔さんは設計者であり施工者であり管理者。全部自分でやっている。こうした独自の情熱を傾けている人がいることが心強いです。そして岡さんのこれまでの紆余曲折が1冊の本でわかるということが、ありがたい。読むことで、それまでの自分の考えや視野の境界が揺さぶられる、ノンフィクションにはそういう力があると思います。
『クロワッサン』979号より