くらし

【あの本を、もういちど。平田オリザさん】卒園式にもらった本が、作家人生の原点に。

  • 撮影・岩本慶三 文・後藤真子

一番大事なものに、人間はいつも、失ってから気づく。

人間の愚かさを、ユーモアたっぷりの文と絵で描き出す。『どうぶつ会議』エーリヒ・ケストナー 文 ワルター・トリヤー 絵 光吉夏弥 訳(岩波書店) 初版は1954年。「岩波の子どもの本」シリーズの一冊。

「動物と人間を対比させ、人間の愚かさみたいなものを描いている作品です。これを読むと、僕は2004年にあった日本プロ野球のストライキを思い出します。当時、プロ野球は下火だと言われていました。でもストが行われると、ナイターのない夜をみんなさびしいと感じました。人間って一番大事なものは、失った時にわかるということ。東日本大震災とか、ほかにもそういうことはたくさんあります」

本を贈られてから半世紀。平田さんは同書をいつも手に取りやすい場所に置き、読み返してきた。自身の書く作品に生かしたこともある。

1994年に初演された代表作の戯曲『東京ノート』では、登場人物が自分をこの作品に出てくるダチョウにたとえるくだりがある。人間界のごたごたを見ようとしないで、砂に首を突っ込んでいるダチョウみたいだ、と。
2004年には、この物語を新作落語として書き下ろした。
「そのために読み返した時、やっぱりこの本は、子どもの興味関心を引くようにうまくできている、と再発見しました。前半の世界中の動物が動物会館に集まってくるところは、すごく動きがあり、ダイナミズムもあります。クジラの口の中に入って海を渡るとか、乗り物もいろいろ出てきます。子どもはそもそも動物が好きだし、乗り物も好きですからね」

ハヤカワ演劇文庫にもなった平田さんの戯曲『東京ノート』(早川書房)。

しかし、近年では同書に関して意外な指摘を受けることもあるという。
「動物が人間の子どもを人質にして要求を呑ませる話だけれど、いいんですか?という人がいます。僕は全然思わなかったことで、そういう見方もあるのか、と……。ただ僕は、動物たちは誰も傷つけていないし、童話だからいいんじゃないかと思っています」
ちなみに、物語の中で保護された子どもたちは、快適な環境で楽しく過ごし、《「動物たちと、おとなたちの会議が、いつまでも、まとまらなきゃいいがなあ!」》とまで思うのだった。

平田さんはエッセイや書評でも『どうぶつ会議』を取り上げてきた。繰り返し触れずにはいられないこの本は、自身にとってどういう存在なのだろう。
尋ねると、父親との関係性に話が及んだ。
「父親が作家で、僕は小さい頃から本に囲まれて暮らしていました。父は僕を作家にしたかった。中学時代に自転車で世界一周をした時は、父から旅先に本が送られてきました。そういうふうに育てられた僕にとって、この本は自分の原点みたいなところがあります」

そんな平田さんにも昨年、息子が誕生した。今度は自分が父親になり、子に「早く読んであげたい」と目を細める。同じ本を親子で読み継げるとは素晴らしい。
「お父さんもこの本を読んだよ、と言えるのは、価値のあることだと思います。また、同じ本を繰り返し読むのも大事なこと。仕事柄、戯曲には特にそういう発想があるのです。つまり、結末がわかっていても人が観にくるくらいじゃないと、いい戯曲ではない。『ハムレット』はみんな結末を知っているけど、400年も上演されています。結末より右往左往の過程が面白いから、芝居を観にくるわけです」
本というのは本来そういうものだと平田さんは話す。繰り返し読みたくなる本、ずっと記憶に残る本に出合うには、「誰からもらったか、どんな環境で誰と読んだか」が重要だとも。

半世紀前、この本を平田さんに贈った園長先生のように、記憶に残る一冊を、誰かに贈れたら素敵だ。

平田オリザ(ひらた・おりざ)●劇作家。劇団「青年団」主宰。戯曲『東京ノート』で岸田國士戯曲賞受賞。10月から、作・演出を手掛ける『ソウル市民』の全国公演予定。

『クロワッサン』979号より

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