【前編】猫沢エミさんの「パンがある朝の食卓」。食べたいものは身体に訊く、 海苔たまサンドか苺タルティーヌか。
撮影・三東サイ
食は何につけ、一番大事。 単純に喜びでもありますよね。
’96年、26歳のときにミュージシャンとしてメジャーデビューし、2002年には渡仏。音楽活動のみにとどまらず、エッセイや映画解説などを書き、さらには『ボンズール ジャポン』というフリーペーパーの編集長をつとめるなど、まさにマルチな活動を繰り広げてきた猫沢エミさん。パリのグラフィティーチームのメンバーだったこともあり、現在は東京をベースに、フランス語を教えるなど、一体何足の草鞋を履いているのやら、“職業”や“肩書”といったものを軽々と飛び越え、彼女にしかできないやりかたで“仕事”をしている。その充実した暮らしぶりを聞こうと水を向けると、しかし、
「実は10年前、日本に戻ってきた後、大病を患い長く休まざるを得なかったんです。お金もない、身体も治らない、ないない尽くし。食事もどうでもいいや、となると、もう、スパイラルを描くように落ちていくものなんですよ」
その頃は何ひとつ建設的なことを考えられず、まるで海の底にいるような気がしていたという。
「しばらくそこでじっとしていたんですけれど、あ、もうここ飽きた。暗いし、パッとしないし、深海魚しか来ないし(笑)、浮上しよう、と。それからは、身体を労りつつも酷使しましたよ。もう二度とあんなところに沈みたくはないですから、どんな大変な仕事でも引き受けて。実際、金銭的にも厳しかったですからね」
がむしゃらに頑張るうち、いつしかいろいろなことがうまく回りだしたが、一人の女性として、どうやって生きていくのかを突きつけられた時期だったと振り返る。
「有機野菜や良質な調味料って本当に味の元となるもので、削っちゃいけないんだってそのとき実感しました。おいしいものを食べると元気になるし、気力もわいてくるんですよ。もし誰かがのぞいてたら、バカみたいに見えるだろうけど、私、家でもおいしー、たまらん、なんて一人で言いながら食べてるんです(笑)。別にお金がかかったものでもなんでもないんですけど、とにかく自分がそのとき食べたいものを楽しく食べていますね」
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